平町さんより画像とテキストを送っていただきました。湯本美術展示館は、多摩美卒業生の小田原光晴さん(’63油画)が主宰されています。
ミクロとマクロから感じること〈点の集積〉
平町公
自分の方法を見つけないと作画は続かない。モチーフが大きくなるにつれキャンバスも大きくなり、取材が難しくなった。大きい地域を描く場合、徒歩での取材では間に合わなくなり車での取材になる。その分取材は大味に。《京浜工業地帯の掟・3部作》を描く際は立ち入り禁止区域など、取材が出来ないところもあって、インターネットの検索から入手した航空写真を参考に使うようになった。すると絵には空間がなくなり、つぶれて全く地図のようになった。一目で捉えきれない大きなモチーフを対象に、空間のとらえ方にこだわって描こうと、挑戦し続けてきたのに「地」と「図」の究極の関係が「地図」とは、振り出しに戻ったような気分になった。
というわけで今回はご当地もので再スタート。今年の正月、郷里広島県の下蒲刈島の下蒲刈御馳走一番館と福山の鞆の浦を訪ねた。ここは朝鮮通信使が寄港した場所だった。16世紀末の豊臣秀吉の朝鮮出兵で朝鮮と日本の関係は壊れていた。江戸幕府は朝鮮との関係回復のために「よしみ(信)をかわす(通)」意味で朝鮮通信使の派遣を招聘し続けた。ソウルから江戸まで2千キロを朝鮮通信使と接待役の対馬藩役人を合わせて500人規模の文化使節団は長い行列で12回往復した。沿線の大名は宿泊の手配と食事の接待をした。武士も町人も文化交流を重ねた。私は「朝鮮通信使」に大いに興味がわいた。3月に今回のグループ展の依頼があった。5月初め、山口県の寄港地、中関や上関に行った。このとき朝鮮通信使が近江八幡を通ったことがわかった。8月に岡山県牛窓を訪ねる。点が線に繋がっていく。5月末に取材で近江八幡を訪れた。ボーダレス・アートミュージアムNO-MAの前の道に「朝鮮人街道」の表示を見つけ、運命的な出会いを感じた。9月には通信使に昼食が提供された本願寺八幡別院でワークショップも行う。
今回の出品作は近江八幡と安土城城址跡をモチーフに帰郷のたびに通った道を重ね、交流の中で育まれた「時空」を描いた。はたして地図を超えた空間となりえたか。
2010年8月23日