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Dec 02, 2008
岡井隆の最新歌集に研究所が登場
この10月末に、歌人の岡井隆さんが、 最新歌集『ネフスキイ』(書肆山田)を上梓されました。 この歌集は、2006年9月から2007年8月までの約一年間、 毎日日記のように数首の歌を詠み続ける中から生まれた、 表現と記録の中間のような作品で構成されています。
当時岡井さんが読んでいたレヴィ=ストロース『悲しき熱帯』の 感想をつづった歌などに混じって、2006年9月23日に研究所主催で 開催したシンポジウム「正岡子規と《写生》の思考―詩と絵のにじみあうところ」を詠んだ次の歌が掲載されています。
講師らの中に中沢新一が平出隆と並みたるぞよき
当日岡井さんも、シンポジウム講師として参加されていたのです。 なお、このシンポジウムの模様は、以下のサイトでご覧いただけます。 http://www.tamabi.tv/research/060923.htm
Sep 29, 2008
Sep 02, 2008
根岸子規庵の糸瓜忌
今日から、根岸の子規庵で毎年恒例の糸瓜忌特別展示が始まりました。 財団法人子規庵保存会設立80周年の記念すべき今年のお題は、 「「女十句集」と明治の郵便回覧句会」です。
装幀家菊地信義さんのデザインによる美しいちらしが出来ています。
展示の監修は、研究所所員の平出隆先生。 新発見資料の「十句集」実物を見ることができます。 十句集とは、正岡子規が郵便回覧の方法で1896年から亡くなる1902年まで 毎月行っていた句会作品をまとめた小冊子です。 具体的なそのシステムは、 1.「女」「魚」などの毎月のテーマごとに参加者が10句ずつ投稿。 2.幹事が集まった投句(参加20人の場合計200句)を季節ごとに整理して 作者名を伏せて写した冊子を作成。 これを郵便で全参加者に一巡させます。 3.各参加者は、その冊子から自分が良いと思った作品を選句して幹事に 連絡。 4.幹事が選句結果を冊子に朱筆で書き込み、再度郵便回覧(二巡め)。 冊子は、選句の結果最高点を得た参加者に記念として贈呈されました。
以上1〜4のプロセスを、1ヶ月間の間にまわしていたのです。 これを毎月毎月亡くなるまで中心人物として継続していたわけで、 子規の旺盛な仕事ぶりにあらためて驚かされます。
本件は、ユニークで貴重な展示ということで、8月14日の読売新聞朝刊紙上 でも紹介されました。
Jul 15, 2008
宮田浩介さん
今日は、若き詩人、特別研究員の宮田浩介さんが、 バイクで研究所に乗り付けて来ました。
宮田さんは、英語の詩で注目されていますが(上の写真で宮田さんが手にしているのは、 氏の第一英語詩集『Current』です)、得意のバイクにGoogle Earthを連動させて、 自らの移動の痕跡を地図上に記録しながら、ランドスケープを考察するという意欲的な 試みを行っています。 (例えば、バイクによる北米横断の記録 同記事を含む、宮田さんのホームページはこちらです)
本日も、研究所所員平出隆先生が主宰するフィールド・ミュージアム・ネット(FMN)プロジェクトにおいて、 日本全国の拠点のネットワークのありさまを、Google Maps APIを利用してオンライン地図上に 表現する作業を行うためにいらっしゃいました。
昨年末の12月23日から24日にかけて、フィールド・ミュージアム・ネット(FMN)伊良子清白プロジェクトの鳥羽市調査が行われました。 今回は、研究所特別研究員の大室佑介さんが現地に赴き、いよいよ工事が始まった清白邸移築に関して、詳細な詰めを行っています。
現地は海っぺりのマリンパーク内。こんな感じです。
伊良子清白は、1922年から22年間、医師として鳥羽市に暮らしました。その診療所兼自宅は、大正時代当時の地方医家の生活が匂う貴重な建物で、昨年3月には国の登録有形文化財に指定されています。しかしながら、今日に至るまでは、以下の数奇な運命があったのです。 ・清白没後、やがて元の所在地にて維持保存のつてが無くなり、取り壊しが検討される。 ・1980年、清白を尊敬する個人の篤志家が、自腹で建物を買い取り、 同じ三重県大台町に移築。 ・その後大台町の建物は、個人の親族から鳥羽市に無償譲渡される。鳥羽市は国の「まちづくり交付金事業」の適用を受けて移築を計画。 ・ただし、現在理容店となっている元の所在地に戻すことはかなわず、鳥羽市マリンパーク内に移転先を決定。
さて、上記清白邸移築の設計を担当している大室佑介さんの コラージュ作品個展「翻訳 NEWSWEEK SERIES 2008」が明日17日まで代々木の秋山画廊で開催されています。 詳しくはこちらをご覧下さい。