第16回東京フィルメックスレポート『山河ノスタルジア』

 第16回東京フィルメックスのクロージングではジャ・ジャンクー監督の最新作『山河ノスタルジア』が上映された。何処からか聞こえる波の音とペット・ショップ・ボーイズによる「Go West」カバー曲の音楽にあわせて若い人びとが踊るミュージカルのような光景から本作は始まる。時代は1999年、中国ではディスコが大流行した。その中でも特に人気だった「Go West」の音楽は、当時の若い人たちの体力、人と人との温度、関係、監督自身の青春時代を鮮明に思い出させる一曲だ。
 若者たちの中心で踊るのはジャ・ジャンクー映画の常連チャオ・タオ演じる主人公のタオ(濤:波の意)、炭坑で働くリャンズーと実業家の息子ジンシェン。中国の山西省汾陽(監督の故郷)に暮す三人の関係はジンシェンがタオにプロポーズすることをきっかけに変わり始める。リャンズーもタオのことが好きだったが、ジンシェンに手を引くように言われていた。タオはジンシェンと結婚する事を決め、リャンズーは河北省の炭鉱へと去る。タオとジンシェンの間に生まれた子どもは、アメリカのドルを意味する「ダオラー」と名付けられ時代は2014年に移る。
 ジンシェンと離婚したタオは一人であるものの、汾陽でそれなりに裕福に暮らしていた。ジンシェンは上海へ移住し、ダオラーはジンシェンに引き取られた。リャンズーは病気のため故郷汾陽へと戻ったが、治療費もままならない状況だった。タオの父親が亡くなり、葬儀の為に上海から息子を呼び寄せる。7歳になったダオラーがタオのもとにやってくるが、長く会わなかった母・タオに対してよそよそしい。ここではインターナショナルスクールに通うダオラーとタオの生活環境の違いが二人の心の距離を浮き彫りにしている。
 そしてダオラーが19歳になった2025年、オーストラリアに住んでいた彼は、すでに英語しか話せなくなっていた。実業家として成功した父親・ジンシェンは英語を話せず、父との会話はメールの翻訳機能で、二人の間には大きな溝があった。中国語教室に通うダオラーはそこで聞き覚えのある古いレコードを耳にする。次第に親子ほど歳が離れた中国語講師(シルヴィア・チャン)に惹かれていく。

7593000145

 人びとが漂流する空間、過去から未来という時間を監督はスクリーンサイズの違いによって表現している。1999年はスタンダード・サイズ(1.33:1)。ここでは『プラットフォーム』(2000)の時に撮影したものや、当時何気なく撮りためた旧正月や炭坑で働く人びとの様子が使われており、時代がかった雰囲気になっている。2014年にはビスタ・サイズ(1.85:1)で経済発展真っただ中の、現代中国の様子が映し出される。スコープ・サイズ(2.35:1)で撮られた2025年は、当初の予定にはなかった。だが。脚本を書くうちにダオラーの未来が知りたくなったため、付け加えたと上映後のQ&Aで監督は述べている。
 本作の原題は『山河故人』。中国語で“山河”は変わることのない自然、景色、“故人”は(亡くなった人という意味ではなく)昔の友達や旧友という意味である。また“故”という言葉自体が、過去という時間の概念を孕んでいる。「人の気持ちは短い時間の中で説明できるものではない」と監督が述べるように、“山河”は空間、“故”という時間の中で人びとの感情の変化を本作は表現している。
 物語の最後、ダオラーがオーストラリアの海岸で波に向かって小さく「タオ」と呼びかける。その時、汾陽で餃子を作っていたタオは後ろを振り向くのだが、もちろんそこには誰もいない。だが、かすかに聞こえる波の音に社会が進展し、人びとの生活が急速に変わっていくなかでも、変わらない人の感情がそこにあるのだと思わせられる。『山河ノスタルジア』は素晴らしい一作と言えよう。

文=韓松鈴


『山河ノスタルジア』

『山河ノスタルジア』

『山河ノスタルジア』(原題:山河故人 英題:Mountains May Depart)
日本、中国、フランス/2015/135分
監督、脚本:ジャ・ジャンクー
プロデューサー:市山尚三
撮影:ユー・リクウァイ
音楽:半野喜弘
出演:チャオ・タオ、シルヴィア・チャン、チャン・イー、リャン・ジンドン、ドン・ズージェン
配給:ビターズ・エンド、オフィス北野 *2016年4月よりBunkamuraル・シネマほか全国順次公開