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Dec 24, 2008

『ふらんす』ジンガロ特集にIAAメンバーが寄稿

白水社の雑誌『ふらんす』2009年1月号の「騎馬スペクタトル Zingaro」特集に、 研究所のメンバーが寄稿しています。

中沢新一所長「Zingaroのサーカス革命」 (3p)

大淵靖子特別研究員「Zingaroという名の自由空間」 (3p)

石倉敏明副手「Zingaro から Homiĉevalo へ」 (2p)

大淵特別研究員は2005年に実際にジンガロに参加した経験を、 石倉副手は、研究所プロジェクト〔Homiĉevalo〕とジンガロの関わりについて述べています。

2009年1月にはZingaro『BATTUTA バットゥータ』東京公演がいよいよ開催されます。

2008/12/24 18:06 | 調査報告,記事紹介 | Permalink | Trackback

Dec 13, 2008

富山県南砺市・調査報告3

「土徳」は、民芸運動の創始者柳宗悦によって名づけられました。 昭和20年、柳は、南砺に疎開していた愛弟子、版画家の棟方志功の作品が一層輝きを増したことに驚き、それがこの地方の自然の豊かさと、綽如上人、蓮如上人によって開かれた念仏の生活によるものだったということを見出します。 柳はそれを「土徳」と名づけ、さらに昭和21年五箇山をたずねて妙好人赤尾の道宗に強く惹かれ、 昭和23年、柳は城端別院にこもって『美之法門』を執筆します。この『美之法門』は、民芸思想の究極とも言われる書です。 (写真:昭和21年、五箇山を訪れた民芸運動の大家たちと土地の人びと。左端が棟方志功、 左から三番目が柳宗悦。前列右から二番目が濱田庄司、三番目が河井寛次郎)

五箇山は、白川郷と並ぶ、茅葺きの合掌造りの家々で世界遺産に指定された区域です。今も昔の姿そのままに、家が並んでいます。 私達の訪れた時に、ちょうど屋根の修理をしていました。以前は村の住人も屋根の修理をできたので、 共同で負担も軽く修理できたが、今は高齢化が進み、村の中で修理できる人がいないとのこと。 しかも、山林への杉の植林が進んだことで、それまで自生していた茅が少なくなり、材料の調達も 困難になっています。 今は麻で代用することもあるそうですが、やはり、中が空洞の茅の茎でないと、 耐久性がなく、冬の積雪の際に屋根が持ちこたえられるか、不安なのだそうです。

「今はこの辺りの山を見渡しても、杉ばかりでしょう。昔はこれが全部茅だったんです。春先には一面に かたくりの花が咲いて、それはもう、天国のような光景でしたよ。 私達は、何とかしてこの山をもう一度茅の自生する山に戻したいのです。」

ちょうど冬の積雪に備えて、家の周りを茅で囲っている風景も見られました。そのようにして慣らした茅を、次は屋根に葺いて使います。 一回に屋根全体を修復するのではなく、老朽化した部分から大体20年周期で葺き替え、全体を葺き替えるのに100年かかるのだそうです。

現代の生活の中で、この姿をどう維持していくのか、それはそこに暮らす人にとって つねに難しい問題でもあるのだと、村民の方は話します。

(まだ続きます。)

2008/12/13 14:38 | 調査報告 | Permalink | Trackback

Dec 11, 2008

富山県南砺市・調査報告2

家の中での時間を充実したものにしようとすると、室内のしつらえにも 工夫するようになり、富山では欄間などの伝統工芸が発達しました。 井波彫刻もそのひとつです。 もともとは寺社建築の技術だったものが、次第に民間にも波及していったのだそうです。 南砺市「いなみ木彫りの里 創遊館」では、彫刻の実演等を紹介しています。

木を加工する技術から発展して、現在ではバット製造業でも有名です。 加工する技術が発達するためには、よい木材が手に入る環境でなければなりません。 豊かな山林があり、木々によって水が地下に蓄えられ、豊かな水脈をなします。 富山では、田んぼに使う水の量が、他のお米の産地と比較しても格段に多いのだそうです。 そうして育てられたお米で餅をつくと、水分が豊かに含まれてもちもちの、 美味しいお餅ができるといいます。

こちらは屋敷の内部です。もともと民家だったものを、造りをいかして料理屋さんに改造したそうです。 座敷を仕切る襖を開け放し、広い空間となっています。現在ではあまりなくなりましたが、 一昔前まではこうした部屋に親族が集い、冠婚葬祭等の行事ごとを行ったそうです。

襖の持ち手の部分です。100年前のものだそうで、今でも現役です。 普段目に留めない部分ですが、手描きの彩色が施されています。 細かな部分への仕事が、家の中の空間をいかに大切にしてきたかという土地柄を うかがわせます。 しかし、そこに暮らす人達にとっては当然のことなので、 家の中に100年前の貴重な資料があっても何も思わずに使用するのだそうです。 「そうした小さなことが積もり積もって、いつの間にかこの土地の『土徳』になっているんです。」 と、現地の方々は口々に言います。

(まだ続きます。)

2008/12/11 15:32 | 調査報告 | Permalink | Trackback

Dec 10, 2008

富山県南砺市・調査報告1

12月4〜5日と、富山県南砺市へ浄土真宗の重要行事「報恩講」の調査へ行って参りました。 南砺市は富山県西部。 昔から、浄土真宗(一向宗)の檀家の多い地域です。

高岡駅から車で移動、福光町に入ります。 この辺りの住居形式は「散居村」と呼ばれています。 読んで字のごとく、家々が密集しておらず、散らばるように建てられている集落です。 確かに、家と家の間の距離が離れて、 どの家も田畑の間にぽつんぽつんと建っています。

家の周りに木が植えてあるのは、敵から家を守るため。 敷地の南側には、強い光をさえぎるために必ず大きな木を植えるのだそうです。

現地を案内して下さった日の出屋製菓・ささら屋の疋田さんに 「この様子だと一つ一つの町の面積はとても大きいのではないですか?」と聞くと、 まさにそうだとのこと。 「隣の家にちょっとお醤油を借りに行く、ということはまずありません。 『ちょっと行く』には遠いですから。コンビニは少ないですし、あったとしてももっと遠いので、 コンビニに買いに走ることもありません。 このあたりの町内運動会なんて大変なものです。皆車で集まってくるほど遠いのです。」 とは疋田さんの言。

なぜこのような集落の形になったのかについての詳細は不明なのだそうですが、 水脈の場所に関係しているという説があるとのこと。 「南アルプスからの雪解け水が流れてくるから、地下水脈が豊かなんでしょう。その水脈に沿って、 最初、好きな場所に家を建てていったのがはじまりじゃないですかね。」

このあたりでは昔から、春夏はよそに出稼ぎに出て、冬にあたたかく快適に過ごせる 大きな屋敷を建ててきたのだそうです。 だから、皆刺激を外に求めず、家の中で楽しむことを考えるのだとか。 確かに外を歩く人をほとんど見かけません。 「人がいないわけではないんです。皆家の中にいるか、車なんです。」 と、疋田さん。 家々が離れていてもさびしいと思うことはなく、 返って、都会に出て突然マンションの近所づきあいに出会い、戸惑うこともあるのだそうです。

山の上から街を見下ろすと、散居村の様子がよくわかります。 ずっと田んぼの続く中を、家々が本当に散らばっているようです。

(次回に続きます。)

2008/12/10 15:20 | 調査報告 | Permalink | Trackback