端山聡子(横浜美術館主任学芸員)

端山聡子(はやま・さとこ)

神奈川県生まれ。
多摩美術大学美術学部芸術学科スタディコース卒業。
横浜美術館主任学芸員(教育普及担当)、多摩美術大学美術学部芸術学科非常勤講師。
1989年より平塚市美術館準備室に勤務。開館後は資料整理、保存修復などを担当しつつ、絵画材料、色、その他のテーマによる短期・長期の教育プログラムの実践を通して利用者の学びの多様性を探求した。
携わった教育普及活動を基に市民が参画する自主企画展を実施。
2013年9月より横浜美術館で、市民協働(ボランティア)および鑑賞教育を担う教育プロジェクトチームリーダー。
『ヨコハマトリエンナーレ2014』では、ボランティアトーカーの育成と、中高生プログラムを担当。

前例のない教育プログラムをヨコハマトリエンナーレで実践

本学芸術学科出身の端山聡子さんが『ヨコハマトリエンナーレ2014』で担当した「中高生のためのヨコトリ教室」は、それまで美術館ではほとんどなかったという中高生対象の長期にわたる教育プログラムだった。
アーティスティック・ディレクターの森村泰昌さんの「お子様ランチではなく、現代美術のフルコースを」という言葉をきっかけに準備期間から開幕後のツアーまで、プログラムは半年にかけて行われた。
新しい教育普及のあり方を問う試みを実践した端山さんに話を聞いた。

 2014年8~11月に横浜市で開催された現代アートの国際展『ヨコハマトリエンナーレ』(以下「ヨコトリ」)は、アーティスティック・ディレクターを務めた美術家の森村泰昌さんにより「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」と題され、国内外から集めた65組79名の作家の作品が展示された。
 そこで5~10月の間、全13回にわたって行われた教育プログラム「中高生のためのヨコトリ教室」でリーダーを務めたのが、横浜美術館主任学芸員/エデュケーターの端山聡子さんだった。きっかけは「異なる年齢の子どもたちが集まり、年上の子が年下の子を案内するようなプログラムをやりたい。横浜トリエンナーレを、『楽しい芸術祭』というものにしたくない。お子様ランチではなく、現代美術のフルコースを食べてもらえるようなプログラムを」という森村さんの言葉だったという。
 同展の開幕前に開催された第1~7回では、「横浜トリエンナーレってなんだろう?」「美術って何だろう」「森村ADとヨコトリ会場を巡る」などのテーマを設定。中高生に、現代アートなどを解説する座学の講座ばかりでなく、展示準備の現場を訪ねてもらうツアーも設けた。著名な美術家である森村さん自らの案内で会場を回るのは、現代美術に詳しい大人たちもうらやむような体験。だが、肝はここからだ。
 ヨコトリが始まった8月に、中高生が小学生のために考えたギャラリー・ツアーとワークショップ「ヨコトリ号こども探検隊」を行った。ここで「年上の子どもが年下の子どもを案内」するのだが、小学生を相手に現代アートを教えるには、作品の内容や楽しみ方を十分に体に染み込ませておく必要がある。たとえば、横浜美術館のエントランスホールに設置された英国の美術家マイケル・ランディの作品《アート・ビン》は「芸術のゴミ箱」だというが、そもそもなぜ芸術を捨てるのか、なぜこのゴミ箱は透明なのか、といった素朴な疑問の答えを用意しておかなければ、小学生には解説できない。その準備自体が、中高生にとってはかけがえのない経験になる。そして最後に、半年間の活動をまとめた冊子を制作する。
 実は、「中高生を対象とした美術館での長期にわたる教育プログラムにはほとんど前例がなかった」と端山さんはいう。理由は、美術館を訪れることが少ないと言われている層が12~18歳の中高生だからだ。小学生までは、親に連れられて美術館の展覧会を見たりワークショップに参加したりする機会もある。だが、中高生になると、親と行動を共にする機会は減り、なかなか自らすすんで美術館を訪れなくなる。こうしたことから、自然と美術館では中高生を対象としたプログラムは参加者を集めることも容易ではなく、開催されることが少ない。集まるかどうかもわからない中高生向けのプログラムは、横浜美術館にとってもヨコトリにとっても初めての試みだった。
高校生向けのプログラムの数少ない成功例といえるのが、1993年から水戸芸術館(水戸市)で行われている“高校生ウィーク”だ。だが、「水戸と横浜は全く違うので、真似することさえできない」と感じていたという。端山さん率いる教育プロジェクトチームは、横浜独自の中高生向け教育プログラムの案を二つ森村さんに提示した。A案は短期の比較的簡単なもの、B案は長期の複雑なもの。森村さんは迷わずB案を選んだ。
 実は当初、森村さんは中高生というよりも小学生の高学年が低学年を案内するようなプログラムを頭に描いていた。だが、実際に集まった23人の中高生という年齢層に非常に魅力を感じたという。驚くべきことに森村さんは7月31日のオープニングが終了してすぐに、自宅にこもって子どもたちに何を話すか練っていたという。こうした森村さんや教育プロジェクトチームの大人たちの努力があったからこそ、今回の試みは実現した。
 中高生は体だけでなく心も成長のまっただ中にあり、一番不安定な時期。そんな世代にとって、美術は今までと違う新しい価値観を気付かせてくれるもの。中高生の時に見た美術が、後になって何かの励ましになることもある。
 プログラムには23人が応募した。端山さんらのスタッフは、教える側と教わる側という一方的なプログラムにならないように、あくまでサポート役に徹した。中高生が小学4~6年生のグループを率いたギャラリー・ツアーでは、大人が案内する時以上に小学生が解説に集中して耳を傾けていた様子を見て「これでよかった」と思ったそうだ。プログラムの活動をまとめた冊子づくりでは、中高生がデザイナーの事務所に足を運び、内容のプレゼンもしたという。
 2015年に横浜美術館で開かれた『蔡國強展:帰去来』では、「中高生のためのヨコトリ教室」を応用した中高生プログラムも行った。
「美術館にとってもスポッと抜けている世代。手を伸ばしてもなかなか触れられない世代との交流の経験はなかったが、教育普及の新たなベースになり、スタッフにとっても意義があった。次はヨコトリが横浜という地域の中をゆるやかに広がっていけるような、市民協働的な手法で新しい活動をしたい」
 そう語る端山さんの仕事は、アーティストにも負けないような創造的な役割を担うことなのかもしれない。

取材・文=韓松鈴
写真=今井楓

※本記事は『R』(2016)からの転載です。


Print中高生が企画したワークショップでつくった消しゴムのスタンプ(撮影=加藤健)
夏の教室 記録誌 表紙教育プログラム 中高生のためのヨコトリ教室 『船長の航海日誌 世界の中心には発見の海がある』
発行:横浜美術館/発行日:2014年11月