中井康之(国立国際美術館学芸課長)

中井康之(なかい・やすゆき)

1959年生まれ。
本学科卒業後、京都市立芸術大学修士課程卒業。西宮市大谷記念美術館(兵庫県)での勤務を経て国立国際美術館の学芸員に。
現在は同館で学芸課長を務めている。
これまで企画した主な展覧会に『もの派―再考』、『藤本由紀夫展 +/-』、『アヴァンギャルド・チャイナ―《中国当代美術》二十年―』がある。

作品が持つ“感情”をそのまま展示する


多摩美術大学に芸術学科が創設された時期に在学生だった中井康之さん。
現在は国立国際美術館で学芸課長を務めている。
長年にわたって数多くの展覧会を手がけてきた中井さんは、キュレーションにどう取り組んできたのだろうか。

 「キュレーションは一種の表現ではあるが、学芸員が自我を主張する場ではない。作品を変に脚色するのではなく、作品を再解釈し、そのよさを最大限に引き出すのが私の仕事です」
 国立国際美術館(大阪市北区)で学芸課長を務める中井康之さんは、展覧会の企画の立案や制作を手がけるキュレーションについてこう考えている。芸術をプロデュースすることが一般に知られてきた近年、キュレーションをある種の「創造」と捉えている人が少なくない。その中で、中井さんは自身を、表舞台には立たない裏方と位置づけている。作品という主役がいるからこそ自分にも力を発揮する場があると認識しているからだ。
 中井さんは本学科を卒業した後、京都市立芸術大学大学院で美学や芸術学を学び、芸術への造詣を深めた。その後、兵庫県内の市立美術館での学芸員を経て、現在は国立国際美術館で学芸課長を務めている。30年にもおよぶ美術館勤務の中で数多くの展覧会を手がけてきた中井さんが最も苦労したのは、国立国際美術館で2008〜09年に開催された『アヴァンギャルド・チャイナ―《中国当代美術》二十年―』だったという。中国の改革・開放や社会変化のありようを象徴する現代美術作品を紹介するのが展示の内容。インスタレーション展示や映像、パフォーマンスを含めて、方力鈞や曹斐など十数名の作品が並んだ。日本で系統的に中国の現代美術を扱ったのはこの展覧会が初めてだったので手探りの部分が多く、すべての作家と直接出品の交渉をしたそうだ。言葉の壁を隔てて作品の意図を汲み取り、再解釈して鑑賞者に伝えるのにどれほどの困難がつきまとうものなのか。想像するだけでも気が遠くなる。しかし、中井さんはこの展覧会を開いて、「実現した意味が大いにあった」という。いったいどんな「意味」があったのだろうか。
 昨年から全国の国立美術館・博物館では、4ヶ国語対応が開始された。解説や作品リストだけでなく、音声ガイド、会場案内図も多言語化され、海外からの来場者を受け入れる体制を整えている。ここでの一番大きな課題が翻訳である。中井さんが勤めている国立国際美術館では、特に導入や解説の必要性が高い現代美術分野の作品を多く展示している。多くの美術館では展覧会に関する文章の執筆は学芸員が担当している。彼らは美術に関する専門的知識を多く持つが、一般に中国語や韓国語を精査することは難しく、これらの言語に精通している者は美術に関する専門的知識が足りない。同館では、『アヴァンギャルド・チャイナ―《中国当代美術》二十年―』の開催が極めていい経験となり、多言語化にもとてもスムーズに対応できたという。
 一つの展覧会開催に必要な準備期間は5年ほどという。中井さんは最近、再来年2月から開催されるフランスの現代美術家クリスチャン・ボルタンスキーの大規模な個展の準備を進めている。イタリア・ボローニャの現代美術館Mamboで開かれていたボルタンスキーの展覧会の下見に始まり、国内で予定している巡回館担当者との合同会議、パリでの作家本人との打ち合わせなど、3年ほどの準備期間を経た今も、やるべきことは山ほどあるという。そして、たくさんの苦労は、展覧会の開催という形で報われる。
 「現代美術作品は“感情”を持っている」と中井さんは言う。その感情に変に脚色を加えず、より多くの人にありのままを伝える試みの中では、図録制作も大きな課題である。図録は画集の役割を果たしつつ展覧会の開催によって明らかになった美術界の動向や新発見にかかわる論考を世の中の人々に知ってもらい、後々の資料にもなる貴重な媒体だ。中井さんは信頼あるグラフィックデザイナーにレイアウトや造本を任せっきりにはせず、デザインに自ら携わることもあるそうだ。『アヴァンギャルド・チャイナ―《中国当代美術》二十年―』展の図録では光沢紙のうえに独特なフォントを載せた。一般的な図録よりかなり小さなサイズ感が特徴的なのは、2007年に開いた『藤本由紀夫展 +/-』の図録。昨年秋に開催された 『態度が形になるとき―安斎重男による日本の70年代美術―』展の図録では、安斎重男さんの作風に合わせたモノクロームのトーンを基調にした。図録へのこだわりも、学芸員の醍醐味であることがよく分かる。


取材・文・撮影(*)=黄夢圓

※本記事は『R』(2018)からの転載です。


北京にあるジャン・ファンのアトリエ風景(写真提供=国立国際美術館)
2012 年に国立国際美術館で開かれた『宮永愛子:なかそら―空中空―』展に出品されたある作品は12万枚の金木犀の葉を素材としており、会期が始まった日の早朝に作品が完成したそうだ。一晩をかけて制作し、完成とともに朝陽の自然光が射し込んだ瞬間はあまりにも崇高で、「陶酔を超える感動があった」と中井さんは言う。多くの来館者に見てもらうことと同様に常に新しい表現を探る美術の誕生に立ち会うのは、学芸員の大切な仕事なのである
(写真提供=国立国際美術館)