【活動報告】本田孝義監督『船、山にのぼる』上映会

【活動報告】本田孝義監督『船、山にのぼる』上映会

2019年6月28日(金)映像設計ゼミ主宰の金曜シネマテークにて、多摩美術大学八王子キャンパス レクチャーBホール、ドキュメンタリー映画『船、山にのぼる』を上映。

 

本田孝義監督は、ドキュメンタリー映画に20年以上向き合い、代表作である『モバイルハウスのつくりかた』では、建築家坂口恭平を撮影。
現在全国で公開されている『ずぶぬれて犬ころ』では、初の長編劇映画の監督も担当。

 

今回上映した『船、山にのぼる』は、ダム建設が決定した広島県灰塚地域が舞台。ダム建設にあたって20万本以上もの木が伐採されることを知った美術家・写真家・建築家からなるPHスタジオは、“森の引越し”をテーマとするアートプロジェクトを開始する。伐採された木々を使い作った船が、水の底に沈みゆく村やそこに住んでいた人々の思いを乗せて山にのぼる。その姿を本田孝義監督のカメラが追ったドキュメンタリー。

 

当日は本田孝義監督本人をゲストに、公開インタビューを収録。
上映作『船、山にのぼる』の秘話はもちろん。自身の撮影に対する思いも語ってくださいました。

 

 

Q.本田監督がドキュメンタリー映画を取るようになったきっかけを教えて下さい。

 

A.学生時代は、劇映画を中心に撮影や映画上映をやっていて、卒業する頃に実際の社会問題をテーマとした劇映画を撮りたいと思っていました。
しかし、脚本のために当事者の方々に話を聞くうちに、フィクションよりも実際の出来 事の方が面白いのではないかと考えるようになったんです。
それから、ドキュメンタリー映画に興味を持つようになりました。

 

Q.今回『船、山にのぼる』を上映させていただきましたが、こういったコミュニティーアートに対する当時の印象、また『船、山にのぼる』撮影のきっかけを教えて下さい。

 

A.僕自身、1996年に大阪市の平野区にて、コミュニティーアートのプロジェクトにアーティストとして関わっていたことがありました。
そこで 3 年間、街が展開するプロジェクトに参加し、コミュニティーとアートの関係を考えるうちに、様々な現代美術のアーティストと知り合ったんです。
その中に『船、山にのぼる』で広島県でアートプロジェクトを行った PH スタジオのメンバーにも出会っていました。
大阪でのプロジェクトでは、アーティスト達の街の捉え方が直接表現に現れることが面白く、美術が苦手だと思っていた自分も興味を抱くようになっていきます。
しかし、コミュニティーにはもちろん住民がいて、アーティストが街に展示した作品が、 そこに住む人々には邪魔になってしまうなどといった問題が起こることもありました。
そうした難しさ、面白さに直面するなかで、僕自身は、“まちづくり”という大きな問題を考えるようになっていったんです。
そして、2002年に『ニュータウン物語』という故郷の岡山県の街を題材にしたドキュメンタリー映画を撮影しました。その映画のラストで僕がプロデュースしたコミュニティーアートの展覧会「ニュータウンアートタウン展」のシーンを入れたんです。実は、その展覧会に PH スタジオにも参加してもらいました。
そういった縁もあって、2002年に『船、山にのぼる』のプロジェクトを実際に目にしたんです。
その時、そのあまりにスケールの大きさに圧倒されてしまったんですね。
また、2003 年に広島県の広島市現代美術館で展覧会用の映像を撮ってくれないかと頼まれたので『船、山にのぼる』の中にも出てくるワークショップの映像などを作っていました。
そうした関わりの中で、PH スタジオのプロジェクトに対して、このプロジェクトが一体最後はどうなるんだろうか、最後まで見てみたい!という思いが湧き上がり、カメラを回すことを決めました。

 

Q.実際に撮影をしている時に感じたプロジェクトの印象を教えて下さい。

 

A.撮影中も、このプロジェクトが最後どうなるのかという事がずっと疑問でした。
そして、今思うと自分の中で答えがなかったからこそ撮影し続けることができたんだと思います。
また僕自身が、意図を持って答えを誘導するように描くドキュメンタリーの作り方が大 嫌いだということもあって、見てくれた人たちが自由に考え、感じてくれるようなドキュ メンタリー映画を作りたかったんですね。そういう意味でも、『船、山にのぼる』では、 明確な答えを描いていません。
ですが今日の上映で『船、山にのぼる』を見返し、PHスタジオのプロジェクトは、水没する村の人達にとって“心の引越し”となっていたんじゃないだろうかと思いました。

 

 

Q.PH スタジオのプロジェクトのテーマでもあった“森の引越し”を終えたその後の村の様子などをお聞かせください。

 

A.まず『船、山にのぼる』に「えみき」という大木の移植が出てきましたが、その木は 結局新しい土地には根付きませんでした。しかし、村の人々は「えみき伝承祭」と言う お祭りを行い、その後「えみき」の 2 世を大切に育てています。お祭りの映像は僕が撮影し、YouTube に上がっています。
また、船に関してですが、もともと PH スタジオがプロジェクトを始めた時から、国土交通省との約束で引っ越しが終わった後、船は解体することになっていました。
でも、村の人々が船をそのまま置いておくことを希望したので、解体されませんでした。
それでも船は腐敗が進み、結局今は瓦解してしまいました。
ですが、村の人々はそこからまた新しい植物が生まれれば、本当の森の引越しにな ると前向きに捉えているそうです。

 

Q.『船、山にのぼる』を経て、その後の活動に何か変化はありましたか?

 

A.僕はいつも撮ろうと思う題材がバラバラなんです。『船、山にのぼる』を撮った後 も、『モバイルハウスのつくりかた』では建築家の坂口恭平を、『山陽西小学校ロック教室』では小学生ロックバンドを、2019 年 6 月から上映した劇映画『ずぶぬれて犬ころ』では俳人である住宅顕信を題材にしました。
ですが、なんとなくこの 4 つの作品は繋がっているなと思っていて、それぞれ分野は違いますが共通して言えるのが“表現が生まれる場”を撮っていると言うことです。
僕自身の中でもそうした題材に興味があるのだと思います。

 

Q.本田孝義監督は、いつも難しい題材にも果敢に挑戦している印象を受けました。実際の撮影中に不安を感じることもあるかと思います。

 

A.そうですね。『船、山にのぼる』で言うと、撮影のスケジュールの目処が全く立たな かったと言うことがあげられます。
なぜかというと、作家で当時長野知事だった田中康夫さんが「脱ダム宣言」を出しことをきっかけに、全国的にダムの建設が遅れてしまったんですね。そうした混乱の中で、当然 PH スタジオのプロジェクトも立ち行かなくなる危機に面したりもしました。 また、ダムが完成し、いよいよダムに水を溜めるとなった時も、ちょうどその年が渇水の年で、なかなかダムに水が溜まらない。
しかし、そうしてやきもきしていたのもつかの間で、台風がやってきたと思ったら、あっ と言う間に大雨が降って、たった 1 日でダムに水が溜まってしまったんです。
『船、山のぼる』でのプロジェクトは、自然を相手にしているということもあって、スケジュールの予測ができなかったことが大変でした。

 

 

会場からの質問

 

Q.長期的な取材、撮影の中でどんな苦労がありましたか?

 

A.プロジェクトの終盤で、実は PHスタジオが運営に関わる横浜のBankART1929の立ち上げと、このプロジェクトが重なってしまっていたこともあって、彼らが横浜と広島を忙しく行き来しなければ ならなかったんです。
そういった忙しさの中で、僕も撮影のスケジュールを読むことができませんでした。撮影している時はまだ良いですが、ドキュメンタリー映画製作には“撮れない時間”というのも存在して、その時間の過ごし方には工夫が必要でした。

 

Q.『船、山にのぼる』の編集作業では、撮影の時とは違った視点や軸はありましたか?

 

A.編集の時も撮影の時と同様、悩みながらやっていました。
村の人達の心の踏ん切りと、アーティスト達のプロジェクトがどのように関わっていくのかが見えてくると良いなと思っていましたが、何か答えを見出そうとはしませんでした。編集が終わったから映画が完成したというわけではなく、上映をして見ていただいた人からのコメントや反響から、この映画はこういった映画だったのか、と発見することも ありました。

 

 

本田孝義監督、また当日お越しいただいた方々にお礼申し上げます。ありがとうございました。

 

今後の映像設計ゼミでは、
9月13日に俳優、映画監督・俳優の田口トモロヲさんをゲストに迎えてのイベント
10月18日には人形アニメーション作家の持永只仁さんをお呼びしてイベント
を開催予定です。

また詳細の方は、芸術学科webサイトの他に、映像設計ゼミのツイッタ ーやインスタにてお知らせしてますので、ぜひフォローよろしくお願いします!

 

 

2019年6月28日 多摩美術大学八王子キャンパス レクチャーBホール

インタビュー:小林りの 柴垣萌子

写真:石井真優

文:柴垣萌子