Image Forum Festival2016レポート

イメージフォーラムフェスティバル2016は4月29日から5月6日まで、渋谷のシアターイメージフォーラムをメイン会場に開催された。前身となるアンダーグラウンド映画新作展や実験映画祭から数えると40年以上の歴史をもつ実験映像フェスティバル、30回目の今年はこの30年の受賞作を回顧する8ミリ主体の特別プログラム「ユニーク・エンカウンターズ」が組まれ、この映画祭が発見・輩出してきた作家たちを展覧した。

今年、ほかに注目すべき特別なプログラムとしては、反芸術集団「フルクサス」の映画36本を集めた「ダダ100年:フルックス・フィルム」がきわめてレアな16ミリフィルムで上映され、BFI(英国映画協会)National Archiveが80年代の8ミリ映画を多数デジタル修復した国際巡回プログラム「This is Now ポストパンクのフィルムとビデオ」も印象的であった。BFIのデジタル・リストア・プログラム(オリジナルは7プログラム。HP参照。http://thisisnow.org.uk/category/programme/)は、オリジナルが1本しかない8ミリのデジタル化としてはこれまで見たこともないほど画質がよく鮮明な2K規格で、こうした作品を歴史的に保存・修復しようとするアプローチと努力は高く評価すべきだ(該当作品は最後に”BFI Film Forever”とクレジットが入る)。

1978-85(post-punk era)を対象に、デレク・ジャーマン周辺のニュー・ロマンティックの作家たち(のちに長編『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』(98)を撮るジョン・メイブリーやベネチア・ビエンナーレ、ドクメンタ、イスタンブール・ビエンナーレ等に出品する美術家・映像作家ケリス・W・エヴァンスら)やヒッピーの女性パフォーマー「ネオ・ナチュリスト」と女装家グレイソン・ペリーのコラボなど、80年代前半の貴重な作品が集められ、テーマ的にはボディアート的身体性、ゲイ・セクシュアリティとアイデンティティが、時に血や内蔵的イメージで描かれ、時代的には反サッチャー(75-90在任)の政治性、映像表現としては(70年代の構造映画的傾向とは異なる)幻想性やミュージック・ビデオ創成期の特徴が顕著にみられ、一時代の記録ともいえるプログラムであった。(文=西嶋憲生)

モダン・イメージ

 

『モダン・イメージ』(イギリス/1978/オリジナル8ミリ/13分) ジョン・メイブリー

 

最初の場面から異質な空間だなと感じた。白い服で顔が白い男が1人とその前の机には男の顔をかたどったかのような石膏のマスクが5,6個並んでおり、右奥にも1人、黒いスーツを着た男性が立っている。おそらく密室空間で、何かの儀式なのだろうか、弦楽曲が流れるなか白い男はその石膏のマスクをまじまじと見ながらうっとりとした表情でマスクに口づけする。それをゆっくり、なめらかな動作で行っている様子を後ろの男は突っ立って見ている。前にいる男は夢の中のようで後ろの男はスーツにメガネをかけ、立っているので、2人を対比させているようだ。白い青年は顔立ちが整っており、もしかしたら自分にキスをしているのかとナルシシズムを感じさせた。だが、それよりも後ろの男の存在が気になった。とくに何もせず、ただじっと目の前の青年を見つめている。この2人の関係は何なのか。青年に対して好意を抱いているのかと思ったが、そんなそぶりもなく、青年の動作が終わるのを待っているかのようにも見えた。そして目の前の青年は何か満足しきったかのように石膏をそのままにして部屋から出て行く。そこに青年とスーツの男との会話はない。しかし今度はスーツの男が石膏の前に座る。一連の動作をやってみろという青年の指示だったのか、それともそれを片付けろという意味なのか。曖昧な2人の関係をいろいろと想像させられ、映像も幻想的で美しかった。(文=4年・鈴木奏)

 

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ミシェル・ウエルベック誘拐事件L’Enlèvement de Michel Houellebecq(フランス/2014/92分)

監督・脚本ギヨーム・ニクルー/撮影クリストフ・オフェンステイン/編集ギイ・ルコルヌ/出演ミシェル・ウエルベック/リュック・シュワルツ/マチュー・ニクール/マクシム・ルフランソワ/フランソワーズ・ルブリュン

『ミシェル・ウエルベック誘拐事件』は、フランスの小説家ミシェル・ウエルベック(1958-)が2011年、代表作『地図と領土』を出版後に実際に経験したミステリアスな誘拐事件を元に『愛と死の谷』(15)のギヨーム・ニクルー監督が仏独共同出資の芸術チャンネル・アルテのために制作したTV映画だ(2014.8.27放送)。誘拐されたウエルベック自身が脚本に協力し、本人役として出演したことでも話題となった。ウエルベックは反イスラム原理主義の発言で知られ、この事件も当時アルカイダの関与が噂され、のちにシャーリー・エブド襲撃事件(2015.1.7)の際もその当日に、2022年フランスにイスラム政権誕生という衝撃的内容の『服役』が発売され物議をかもした。(西嶋)

BGMもなくドキュメンタリー的な撮影だが、そこで繰り広げられる出来事はカメラの介在を感じさせないフィクションの風味がある。そもそもM・ウエルベックという作家について知らなかった私は、この作品のフィクションとドキュメンタリーの間を継ぎ目なく行き来するような作風にまんまと取り込まれてしまった。

性格や志向が全く違う被害者と誘拐犯がドタバタに生活を共にしていくことで段々と仲良くなり、最後には別れも惜しむという作り話のような構成だが、誘拐犯家族の家に軟禁されるウエルベックと誘拐犯たちの佇まいは非常に自然体で、交わす会話も筋書きがあるようにはとても思えない「ライブ」なものである。

登場人物の会話は、私たちの普段の会話のような、何気ない力の抜けた投げかけから始まり、それは時に笑いの起きる場に、時に思想をぶつけ合う論争に、またある時は喧嘩へと展開する。それぞれの人間の生の言葉がぶつかり合い、人物像が浮き出てくる。それはフィクションの作為的配置が生み出した無作為な真実の現象のようにみえる。

フィクションとドキュメンタリー、両方の側面を持ったこの作品のカメラを通して、現実を切り取るドキュメンタリー以上にリアルに対象の本質を知れたように感じた。(文=3年・金澤俊典)

このドキュメンタリータッチのコメディドラマは、新刊プロモーションで忙しい日々を送るウエルベックが、ある日3人組の巨漢に誘拐、軟禁され、誘拐犯たちやその家族と交流するうち犯人と人質を越えた奇妙な関係性が徐々に生まれてくるという物語だ。

誘拐された身でありながら緊張感はまったくなく飄々とタバコを要求し、指定のワインを求めるウエルベックは挙句の果てに娼婦まで買う。どこまでが本当でどこまでがフィクションなのか、よく分からないまま物語は進行し、誘拐犯の老いた両親の登場後はほぼホームドラマの様相を呈す。誘拐の目的は結局最後まで明かされず、身代金の要求も思うようには運ばず(最終的には支払われたようだが)、見ている側としてもかなりの脱力感を感じさせるアマチュア的な誘拐グループ。

イスラムの話題が取り沙汰されているだけにイスラム過激派による諸々の誘拐事件を風刺した寓話なのではないかと思いつつ見ていたが、ふざけているような演出、ギャグ、ユーモアに混乱し乾いた笑いが生まれ、その予想は裏切られていった。(文=3年・石田大輔)

 

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漫画・榎本由美

『宙ブラ女モヤモヤ日記』(日本/2016/60分)

監督・撮影・出演=寺嶋真里/撮影=岩切等、JK、春佳、三浦淳子、ヤジマチサト士、山崎スヨ/漫画=榎本由美/音楽=綿引浩太郎/出演=アマネ、榎本由美、小口容子、霞鳥幻楽団、今野裕一、セーラー服おじさん、土居晴夏(HALUKA/スリーフィンガーズ)、トム・ソーヤー工房:王様、madclown、まぼろし博覧会:館長セーラちゃん、真夢、マンタム、森園みるく、ヤジマチサト士、山崎丈、山崎はな、山崎幹夫、山田勇男、よねやまたかこ(スリーフィンガーズ)、Rose de Reficul et Guiggles

IFF2016東京会場の観客賞を受賞した、寺嶋真里監督の新作『宙ブラ女モヤモヤ日記~ダンナに言えない秘密~』は、過去と現在、理想と現実の乖離にモヤモヤとした感情を抱きながら送る日々を、自身初となるセルフ・ドキュメンタリー形式で撮った作品だ。

寺嶋真里は1980年代半ばから映像制作と上映活動を行い、91年に8ミリ作品『緑虫』でIFF一般公募部門大賞受賞。代表作に『女王陛下のポリエステル犬』(94) 『姫ころがし』(99)『アリスが落ちた穴の中』(09)などがあり、独自の幻想世界を作り続ける作家である。

本作ではセルフ・ドキュメンタリー形式を通じて、自身の不満や妄想を監督本人が演じて見せたり、漫画やテキストアニメーションを織り込むなど、様々な手法を用いて観る者にストーリーを強く印象付ける作風となっている。

自身が清掃員として働く様子や居酒屋での知人との会話など、日常生活の中で撮り溜めた素材を多く用いて映画を構築し、誰しもに訪れうる普遍的でささやかな日々に、絶妙な言い回しのナレーションを添え、コメディタッチで赤裸々に描くことで、映像作品を観ている時にたまに感じるレンズを介した作り物の世界と現実との世界観の隔たりを埋め、いつかの自分を見ているような親しみやすい距離感を生む。ドキュメンタリーともフィクションともとれるこの作品は、観客に共感を与えると同時に笑いの渦に包み込むことに成功した。(文=3年・島田聖大)

『宙ぶら女モヤモヤ日記』は、中年女性(作者本人)が旦那さんが仕事を退職した後、裕福な生活ができなくなり、映画制作資金を稼ぎにマンションの掃除員としてバイトをすることになって、そこでの不満や妄想などが語られるというものだった。

映画は寺嶋真里のナレーションが流れながら始まり、これから登場する主役の寺嶋真里がどのよう性格で、どんな立場にいて、どのような理由でバイトをするのかとか採用のプロセスなどを説明していく。あるマンションで働くことになるが、その時の一つ一つの出来事で彼女が妄想するシーンが面白く表現されている。例えば最初にナレーションで妄想の考えが流れて、それがいきなり漫画に変わって、実際に起こると暗示するようなことが漫画のシーンで表現されたりする。でも寺嶋真里は結局妄想から現実に戻って対応するといった具合だった。

見ていて感じたのは、ストーリーとその描写が面白いということ。作者が映像に主人公として出演し、ナレーションで何かを主張したり、勝手に語っていく部分などで、どこまで現実なのかわからないところがこの作品の醍醐味ではないかと思った。(文=3年・リ・ヒド)