研究科長メッセージ 2019/06/13 更新
「知」を制作の武器とする ー松浦 弘明ー
大学院への進学を決意するということは、学部の四年間の学習では不十分であると感じ、さらなる専門的な技術や知識を修得したいという願望があるからだと思います。さまざまな逆風をものともせず、そのような強い意志を持つ人たちの期待に本学はできる限りお応えしたいと思います。
そもそも私たち人間は、何故、学ぶことを欲するのでしょうか? 古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、人の本性が「知を愛すること」にあると考えました。もしそうであるとすれば、人は一生、「知」を追い求めるでしょうし、学校という環境にとどまらず、社会のいたるところで知識を吸収し続けていくはずです。ならばなおさらのこと、私たちは大学や大学院でこそ得られる「知」とは何なのかを問い直す必要があるのではないでしょうか。
美術大学は美術に関する専門的な技能を学べる場です。デザイン系の学科では、企業ですぐに役立つようなさまざまなテクニックや手法を学ぶことができるし、絵画や彫刻などのファイン・アート系の学科においても、社会に訴えるのにより効果的な魅力的で高度な表現法を身に着けていくことが可能です。そのためか本学でも学部の段階では、すぐに役立つ技術や知識を効率よく修得しようとする学生が多いように感じます。ですがそのような傾向が強すぎると、即戦力的な実技・実学ばかりを重視するようになってしまい、思想や歴史、文学、文化人類学といった教養系の科目は可能な限り履修せずに卒業単位を満たそうと思ってしまうのではないでしょうか。
日々、実技の課題に追われている学部生がそのように考えてしまうのは無理からぬことです。ましてや高校を卒業したばかりで、予備校で美術大学に合格するための基礎技術の習得に追われていた新入生ならばなおさらのことです。ですが、学年が上がるにつれ、制作において技法や技術だけではなく、作品そのもののオリジナリティが求められる段階になると、自身の内に蓄積された「知」や「経験」、それらに基づいた「理念」が重要であることに気づくのではないでしょうか。心が空っぽの者に「創造」する行為は不可能だからです。
その点では、大学院への進学を志す者は学部の新入生とは意識や覚悟の点で大きく異なるはずです。すでに卒業制作時に、いかに「知」の幅を広げることが大切かを痛感している人たちばかりでしょうから。大学院ではこれまで以上に専門的な技術を磨く一方で、学部時代よりはるかに緊密となる教師陣との交流を通して、クリエイティブな仕事をするのに必要な広範囲かつ深遠な「知」を修得することが求められているのです。そのため大学院の修了時には、すべての学生が作品以外にも論文を提出しなければなりません。つまり実技を中心に学んでいる学生も、自身の研究テーマを定め、その成果を文章としてまとめ上げなければならないのです。
そうはいっても、本学の大学院生の大半は「学者」ではなく「表現者」を志しているわけですから、論理的な研究はあくまで「作品」の質を高めるために作用すべきです。ファイン・アートであれデザインであれ、魅力溢れる「作品」は決して独りよがりのものではなく、多くの人が感知できるメッセージを備えているはずです。そうしたものを創り出すためには自身の考えや意見を客観視し、それらを言語でもある程度は表現できなければいけません。ひとつのテーマに基づく先行研究を整理し、そのうえで自分の考えを論理的にまとめていく過程で、各人の心の内で制作理念が徐々に明確なカタチとなり、それにともない「作品」の質も格段に向上する――このことこそが大学院で論文を課している理由なのです。
現代社会の最前線で活躍している作家やデザイナーから直接、指導を受けることで、その深遠な制作概念や豊富な経験、優れた技術を吸収することができる――それは本学のメリットとして広く認知されていることですが、その一方で他分野に及ぶ優秀な学者が在籍していることも忘れないでください。彼らは制作意欲を刺激する「知」を提供するだけでなく、専門的な「知」を得るための手法をも伝授してくれるはずです。「技」と「知」の調和こそ多摩美術大学大学院の最大の魅力と言えるでしょう。