赤松祐樹(あかまつ・ゆうき)
1970年東京都生まれ。
多摩美術大学大学院修士課程修了(芸術学)。
『岸田劉生展』『宮崎進展』(周南市美術博物館)、『4つの物語』展『中西夏之』展(DIC川村記念美術館)、などを企画。
『あるサラリーマン・コレクションの軌跡~戦後日本美術の場所~』展図録が第4回ゲスナー賞銀賞受賞(2005年)。
モダニズムの芸術を研究する中で新たな境地に
本学科修士課程を出て千葉県佐倉市郊外にあるDIC川村記念美術館で学芸員を務めている赤松祐樹さん。
日々美術作品を間近に見ながら、欧米を中心とするモダニズム芸術の研究を続けてきた。
ある日、「では日本の美術はどうなのか」との疑問が頭をもたげ、展覧会の開催につながっていく。
赤松祐樹さんが学芸員を務めているDIC川村記念美術館は、千葉県佐倉市にある。創業者の川村喜十郎をはじめとする川村家3代による収集品を中心とする、DIC(旧社名「大日本インキ化学工業」)のコレクションを公開するため、1990年に開館した。20世紀米国抽象表現主義の巨匠、マーク・ロスコが、ニューヨークの高級レストランのために描いた「シーグラム壁画」の連作のうち7点を展示した「ロスコ・ルーム」など世界的にも貴重なコレクションを披露する一方で、企画展も意欲的に開いている。
展覧会の企画や、館が収集した作品の研究などが、学芸員の仕事の中心だ。同じく美術の研究に勤しむ美術史家と違うのは、在籍している館で美術作品に日々接することができることだろう。赤松さんも、ルノワールやマティスなど西洋の近代美術史を華やかに彩る画家から、ポロックら戦後の巨匠作家にいたる同館の充実したコレクションをいつも間近で目にし、企画や研究に励んできた。ポロック、ロスコ、ステラなどのコレクションが厚い同館は、特に戦後米国の現代美術に興味を持っていた赤松さんが研究を続けるには、うってつけの場だった。
今年1月24日に始まった『人と自然のあいだの「精神」と「芸術」/スサノヲの到来―いのち、いかり、いのり』展は、赤松さんが担当した企画展だ。ただし、素盞鳴尊(スサノオノミコト)が登場する日本の神話を思わせる「スサノヲの到来」というタイトルは、赤松さんが研究してきた現代美術とはかけ離れた内容に映る。にもかかわらず、同展は赤松さんにとって日々の研究の延長線上にあるという。どういうことだろうか。
「欧米の戦後美術研究を続けているうちに、ある日、『では日本の美術はどうなのか』と疑問に思うようになった。そして、世界の美術史をふまえながら、それとは異なった文脈の可能性を考え始めました」
そして、日本の美術に対して、中国美術との関係や、モネやゴッホら西洋の印象派周辺の作家に影響を与えたジャポニスムなどの、既存の研究とは異なるアプローチをすることになったのが、「スサノヲ」という言葉をキーワードにした展覧会だ。企画展示室では縄文土器や平安時代の神像から岡本太郎や若林奮の現代美術作品まで、神話を切り口に日本美術を包括する展示をした。
一方、神話は日本だけでなく、世界のそこかしこにある。美術のテーマとしても普遍的だ。同館が所蔵するマイヨールのブロンズ彫刻『ヴィーナス』はローマ神話の女神をかたどったものであり、シャガールの『ダヴィデ王の夢』は旧約聖書に題材を取っている。それらの作品を常設展示室で見せることで、日本と世界をつなぐ立体的な展示をも試みた。こうしたことができるのは、充実したコレクションを持つ美術館ならではのことだろう。
美術館の学芸員は、美術品という「物」と向き合うばかりでなく、「人」と接することも多い。この展覧会では、出雲大社や京都造形芸術大学芸術館など外部から借りた作品もたくさんあった。特に寺や神社に秘蔵されていた文物を展示するために、いわゆる美術の世界の外の者を説得するのは「大変難しく、またやりがいのある仕事だった」と言う。
作品を借りるのと並行してカタログの編集もする。この展覧会は、足利市立美術館、北海道立函館美術館、山寺芭蕉記念館、渋谷区立松濤美術館を巡回する共同制作ということもあり、各館の学芸員が執筆する内容の調整も必要だ。赤松さんは編集・執筆を担当し、カタログをいかに意義あるものにするかに腐心した。カタログは後の研究の礎になる。学芸員が携わる極めて重要な仕事のひとつだ。
美術館でいつも実物に接してきた赤松さんの目に、現代美術の世界はどう映っているのだろうか。
「抽象表現主義を推した米国の批評家、クレメント・グリーンバーグの評論のような強力な論が成立しえない状況になった。これからの美術はどうなるのか、という問題設定自体が成立しえない。その中でも、今までの美術がどうなってきたのかを仔細に読み解いていくことには意味がある。重要なことは、実は身近な細部に隠れているのかもしれない。今まで王道とされてきた大きな理論からこぼれ落ちる事象、それがこれから重要な意味を持ってくるかもしれませんね」
取材・文=戒田有生
撮影=小川敦生(*1)、宮浦杏一(*2)
※本記事は『R』(2015)からの転載です。