萩原楽太郎(おぎわら・らくたろう)
写真家。
2016年多摩美術大学芸術学科中退。
13年富士山アートグランプリコンテンツグランプリ「私の買いたい1点賞(浅見帆帆子氏セレクト)」受賞。
16年7〜8月、東京・半蔵門の「ANAGRA/アナグラ」で個展「失楽園」を開催。
14年、第18回JAPAN MEDIA ARTS FESTIBALエンターテイメント部門優秀賞を受賞した、池内啓人氏作品の写真撮影。
現在は、ザ・イエローモンキーの15年ぶりのシングルCD「砂の塔」のTVCM撮影を担当するなど、映像作品も手掛けている。
多摩美のクラブ棟から巣立つ
「楽さん」の愛称で今も学生から親しまれる写真家、荻原楽太郎さん。
原点は、多摩美の最奥にひっそりと佇む「クラブ棟」にあるという。
楽さんが写真に切り取った風景は、どこまでも澄んでいて温かだ。
その眼差しを育むきっかけとなったのは、一体どんな場所だったのだろうか。
昨夏、都内で自身の初個展となる「失楽園」を開催した。出品したのは、ここ数年で撮りためた中から選んだ作品の数々。多くは本学八王子キャンパスのサークル活動の拠点であるクラブ棟で撮影したという。楽さんの手にかかれば、ぐちゃぐちゃに散らかった中にも引き込まれるような美しさが見えてくる。最近はザ・イエロー・モンキーの15年ぶりとなるシングルCDのテレビCMを撮るなど、映像の世界にも足を伸ばし始めた。
数年をかけて取り組んできた仕事の一つに、美術家の池内哲人さんの作品撮影がある。既存の家電製品をジオラマと合体させ、近未来的なガジェットへと組み換えた非常に精緻な作品だ。楽さんの写真はガジェットに限りなく迫った構図によって細部をはっきりと目視でき、まるで見る人自身が内部に迷い込んでしまったかのような錯覚を起こさせる。
「池内さんの作品は、どこから見ても面白い。小さなジオラマの兵士の目線に、どれだけ迫れるかですね」
被写体の視点から見つめた世界という逆転の発想も、多摩美で培った深い眼差しに導かれたものだ。「自分の存在を感じさせず、被写体の意識がカメラマンに向かない写真。写真を撮る時に常に意識している」と言う。
今でもたびたび多摩美を訪れるそうだ。キャンパスを歩くと、道行く学生たちが次々と声をかけてくる。学科の垣根を越えた人気者ぶりは今も変わらないようだ。そして写真家になったのも、この場所にいたからだった。
「ここでさまざまなことに全力で取り組む学生たちを見て、生き生きとした顔に惹かれた。それらを何らかの形に残したいと考えるようになった」
そして選んだ方法が、写真だったのだ。それからというもの、がむしゃらに撮り続けた。最初の仕事は、同期や先輩たちの作品の撮影だった。油彩画もあれば工芸やインスタレーションもある。学内は美術作品、そしてクリエイターの宝庫だった。とにかく楽しみながら撮り続けた。写真は評判を呼び、在学中から報酬を伴う仕事も始めた。気がつくと、プロの写真家としての道を歩んでいたという。
「寄り道していっても、割となんとかなる。気張らず自分のやりたいことをやればいい」
多摩美の中で唯一の理論系の学科である芸術学科で、楽さんは、自身の進む道を思い悩んでいたという。だからこそ、この言葉はとても心強く、ズシリと胸に響いた。
この日も、クラブ棟へ足を向けた。ここは楽さんのかつての“住処”とも言える場所だった。
「ずいぶんと静かになったね。昔はいつでも人がいて、賑やかだった」
ほんの少しの間に、ずいぶん雰囲気が変わったようだ。
「俺がいたのは、火が消える前の一番燃え上がる時だったのかな。ちょうど多摩美がいろいろ変わる時期だったから」
キャンパス裏には住宅が建ち並び、住民に迷惑をかけないよう、規制が厳しくなったという。バカ騒ぎができなくなった分、クラブ棟からはかつての熱気が失われつつあった。永遠に変わらないものなどない。だからこそ、かけがえのない一瞬を残していきたい。多摩美の長い歴史の中で、時代の区切りを迎えようとしていたクラブ棟を間近で見つめ続けてきたからこそ、達した境地だったのだろう。
「好きなものを肯定する。写真はそれができるから好き。だから、いい瞬間にシャッターを切りたい。それは今も変わらない」
多摩美の片隅で見つけた、学生たちのささやかな営み。それらを追い続けるうちに踏み込んだこの道を、彼はこれからも歩んで行く。
取材=豊島瑠南・佐藤仁奈
撮影=佐藤仁奈(*1)(*2)
文=豊島瑠南
※本記事は『R』(2017)からの転載です。