「自然」と聞いて思い浮かぶのは、どのような光景だろうか。うっそうとした森、それとも家のガーデニングだろうか? 一口に自然と言っても、さまざまな状況がある。そうした多様な「自然」という概念をテーマにした展覧会が、2014年10月に開催された。本学芸術学科の展覧会設計ゼミの学生たちが企画した『たゆたう自然』展である。
会場は、東京都文京区のGallery W。道路を挟んだ向かい側に隣接して、小石川植物園がある。自然について考えを巡らせるには、うってつけの環境だ。
植物園の風景を、会場の窓から「借景」として活用していた作品があった。狩野哲郎の『野生のストラクチャ』というインスタレーション群である。白い台の上にあるピラミッドのようなオブジェもその一つだ。段々に積み重ねられているのはセラミックの皿、オレンジ、プラスチックのボールなど雑多な物ばかり。構成物に一貫性がないように見えるが、作者の狙いはそこにある。狩野は素材となる物の機能や価値を一度すべて取り払い、作品を構築していく中で「風景」という新しい意味を授けていく。ゆえにオブジェの中では「人工物」や「自然物」といった区別は存在しない。人が作り出した既成概念に疑問符を投げかける。こう言い換えることも可能だろう。作品の背後に映り込む植物園の森までが、狩野が作り出した「風景」の一部として取り込まれているのだ。
同じく隣の植物園から着想を得た作品があった。伊藤存の『みえない土地の建築物』シリーズの新作である。伊藤の制作はまず自然の中にフィールドワークに出て、見つけた昆虫や草木のドローイングを描くことから始まる。その中から形を再構成し、布に刺繍を施したのが作品だ。本展のためにつくられた新作も、実際に小石川植物園を訪れて制作したという。出来上がった作品を見ると、自然界に宿るフラクタルな模様を見いだすことができる。伊藤の手によって再発見された自然界の美しい形からは、そこに住まう動植物たちの息づく姿すら見えてくるかのようである。
一方、画家の阿部未奈子は見慣れた人間の視点から新しい形を抽出していた。出品されたのは『Scene no.40』と『Scene no.42』という森を描いた2枚の風景画だ。一見すると何の変哲もない森なのだが、どこかに違和感を覚える。そう感じるのも無理はない。これは阿部が心象で捉えた空気感、つまり目に見えない「ゆらぎ」が作為的に加えられた風景なのである。景色を眺めるという行為には視覚だけでなく、身体に受ける風や音などを感じる触覚や聴覚も、重要なファクターとして機能している。当たり前の事だが、忘れがちなことかもしれない。阿部の「可視化された風」は、そんなことも思い出させてくれるのだ。
デジタルメディアによるアートを展開していたのは、大西景太のインスタレーション作品『Forest and Trees』である。会場に出現したのは12本の白くて細い支柱に載ったデジタルフォトフレーム。まさに森の中の木々のように林立している。画面の中では幾何学の図形が反復的に動き続け、それに合わせて内部のスピーカーから「ポーン」という電子音が聞こえてくる。それぞれのスピーカーから連鎖的に出てくる音は少しずつ間隔をずらして、会場内にこだまし合う。自然とは正反対の人為的な造形と音による不思議なデジタルの森。自然の定義とは何か。そんな根源的なことをも考えさせる作品だ。
「自然」という概念は、場所・文化・人などの文脈によって変容し続けている。今回出展された4人の作品は、それをアートの側面から示してくれた。展覧会名の「たゆたう」という言葉には、そんなゆらゆらと漂うさまが表現されていたのである。
まるで天気のように、自然観そのものが移ろいゆく。それをあらわにしたアートの多様な姿もまた、たゆたう存在であると言えるのかもしれない。
取材・文=林勇太 撮影=荻原楽太郎
■多摩美術大学美術学部芸術学科 展覧会設計ゼミ(CPUE)企画展『たゆたう自然 / floating nature』
会期:2014年10月11日〜20日(=終了)
会場:Gallery W(東京都文京区)
出展作家:阿部未奈子、伊藤存、大西景太、狩野哲郎
総合アドバイザー:長谷川祐子(多摩美術大学芸術学科特任教授/東京都現代美術館チーフキュレーター)
企画アドバイザー:難波祐子(同学科非常勤講師/キュレーター)
空間アドバイザー:岡田公彦(同学科非常勤講師/建築家)
「タマガ」とは=多摩美術大学芸術学科フィールドワーク設計ゼミが発行しているWebzine(ウェブマガジン)です。芸術関連のニュース、展覧会評、書評、美術館探訪記、美術家のインタビューなどアートにかかわる様々な記事を掲載します。猫のシンボルマークは、本学グラフィックデザイン学科の椿美沙さんが制作したものです。