Image Forum Festival 2017レポート(2)

『手のなる方へ』 薄羽涼彌/デジタル/2016/7分

3DCGアニメーション作品『手のなる方へ』はBプログラムで上映された。他のプログラムに比べて学生が多く鑑賞者の年齢層の幅が広い印象を受けた。この作品の物語は真っ白な無限に広がる空間で展開されていく。はじめは何の姿も見えないが、規則的な足音が聞こえてきたことで誰かが出てくることが予想できた。その足音の正体は人の形をした表情もない無機質な生き物であった。その生き物は光る球体を運び始めたが、空からは槍が降りその槍に刺され球体を運んでいた生き物は倒れた。しかしその初めのひとりが倒れてもまた別の誰かがやってきては、光る球体を運び続ける。切断された体の一部までもが運び続けていく。

上映後のQ&Aで作者はこの作品の制作意図について語り、作者のコントロールできない部分が表現の豊かさに繋がると考え、それを取り入れ作品制作を行なったと話していた。作品の中で出てくる、本体から切断されてもなお動き続ける手は、規則的に繰り返されているように見えたが、物理演算のシュミレーションを使いそこに作者の意思は介在していない。それを作者は自由と意図のバランスであると言った。

全てを計算して作り上げることのできる3DCGアニメーションで、あえて偶然性に頼り、意図を介在させずに動きに遊びを持たせることで、監督の考える豊かさを表現しているというところが非常に面白かった。さらに、無機質な空間と登場してくる生き物からは何の感情も読み取れず観るものが様々に受け取ることができるところもこの作品の魅力ではないかと思う。(文=3年・深川)

 

『犬を見れば、声が聞こえる』 SEE A DOG, HEAR A DOG

ジェシー・マクリーン/デジタル/2016/18分(アメリカ)

移り変わる映像の中で私たち人間と犬をはじめとした動物やロボット、人工知能等とのコミュニケーションについてシンプルに明るく問いかけてくる作品。その無邪気な明るさは見るものが常日頃から感じている文明の発展に対する一抹の不安を増長させてくるようにも思え、公共放送の教育番組を連想させた。

タイトルにあるように作中には多くの犬が登場する。飼い主の出す指示に答えられたり答えられなかったりする犬やピアノの音に反応して吠える犬の映像やロボットの犬を蹴飛ばすショッキングな映像は動画サイトから抜き出してきたようであり、故に日常の中に存在するテーマであることを際立たせているように感じた。

犬の映像の他にもシナプスやDNAを連想させるCGアニメーションやチャットルーム上で繰り広げられる会話、無音の中で移される人間の顔や人型ロボットの微笑み等々がテンポよく切り替わっていく。チャットルームでの会話のなんとも言えない歯痒さは言葉の限界を顕著に表しているし、無音の中、眉をひそめたりしながら何かを感じ取ろうとする人の顔は表情の重要性を教えてくれる。正に対話の可能性を感じさせる作品である。

密接な距離感で共存して来た犬とすら曖昧なコミュニケーションしかとれない私たち人間が、どうして他人と分かり合えることが出来ると思えるのか。神のように人(もしくはヒューマロイド)を創ることが出来ると思えるのか。そんな文明社会に対する疑問を提示されている気がした。(文=4年・西澤)

 

『むかしの山』 辻直之/16ミリフィルム/白黒/2017/3分

チラシの写真から、山が翼を持って飛んでいるのかはたまた着地しようとしているのか、そのどちらとも取れるような動きを感じ、真っ先にこれを観ようと決めた。この映画祭ではメッセージ性の強いものも多いので、私は『むかしの山』についてもとても気をつけて見ていた。しかし、翼を持って飛んできた山が着地した時に、この作品は山に関する昔ばなしを再現したものだということに気づいてからは、緊張を解いて純粋に楽しむ方向でこの作品を観ようという心構えにシフトした。すると次に大仏(帝釈天)が出てきて、これはインドの山の話なのかなと思った(古代インドの聖典「リグ・ヴェーダ」にある話とのこと)。同時に、そういう話があったような、デジャヴのようなものを感じた。

辻直之の木炭画アニメーションでは、前の絵を消しながら描き足していくため、コマが移る度に少しずつ前のコマの残像が残るが、それが表現上の特徴だそうだ。作品のテーマは昔ばなしだったのだが、唯一キャラクターの表情だけが近代的なコミカルなものだったので、その時代性のギャップがとても面白いと思った。山が羽を奪われて泣いている所など、とても可愛かった。そうした点で、古い話に近代的な感性がうまく溶け込んでいると思った。(文=4年・槙山)

 

『静かに遊ぶ』 外山光男/デジタル/2017/14分

『静かに遊ぶ』は、物体が重力や衝突によって動かされる、その動きをアニメーションで表現したものだ。少し実験的な要素もあったようにみえた。  例えば、ピラミッド状に積まれた6個程度の玉に、真上から同じ玉を1つ落としてみる。そうすると、当然その玉は重力により下に落ち、積まれた6つの玉と衝突する。すると一気にピラミッドは崩れ、ばらばらになる。私はその過程をみている時、「これがここに落ちると、次はこういう動きになるだろう」と勝手に予測していた。その予想通りの動きになるとなんだかスッキリするし、予想に反する動きになると、意外性があって面白いと思えた。何をしているのか分かりやすい映像なのと、重力や衝突、慣性力といった普段身の回りに自然と働いている力の映像のため、親近感のような、身体にスッと入ってくるような映像だった。  また映像自体がスローのようなゆったりした速度なのと、無音や静かな波の音を用いていることで、みていてとても気持ちがいい。心地よい気分になった。  作品には、物語から感動したり面白いと思ったりすることもあるが、視覚的に心地よくなれるものもあるのだと思った。みているだけで、心が軽くなるような、身体に染み渡るようなアニメー ションは初めてみたので、自分の新しい感情に出会えた気がした。(文=3年・新井)