東京国立博物館で「特別展 茶の湯」が開催されている。日本に「喫茶」の習慣が中国から伝わったのは12世紀頃という。そこには禅との深いかかわりがあり、現代の茶道にもその名残りを見ることができる。
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東京・上野の東京国立博物館で開催されている「特別展 茶の湯」を鑑賞した。日本で粉末の茶を楽しむ習慣「喫茶」が始まる12世紀頃から明治時代までの茶道具を見渡した、スケールの大きな展覧会だった。
会場を歩いていて、特に心に残ったことが一つあった。茶の湯の場で使われる掛け軸や茶碗を置く天目台に、禅宗の影とでも言うべきものを見たことだ。今でこそ茶の湯は極めて日本的な文化の一つとして捉えられているが、元々は中国の南宋時代に流行した喫茶の方法が禅僧や商人によって日本に伝えられ、発展したものだ。最初抹茶は、眠気覚ましのために用いられたという。時代がくだると、独自の価値観や決まりごとが作られて、「喫茶」は次第に禅宗から遠ざかるのである。
しかし茶道具の一部には禅宗の仏具と似た形のものがあり、まさしく禅宗の名残りと見えた。それが天目台だ。この展覧会には天目台も単体で展示されていたが、茶碗を置く道具である天目台の一つである《屈輪輪花天目台》は、仏壇に茶を捧げる仏具「茶湯器」にとても形が似ていた。
12世紀の中国から輸入した掛け軸や茶道具は「唐絵」「唐物」といい、禅宗寺院の「荘厳の場」と呼ばれる空間で茶の湯に取り上げられる。それが茶道具に発展したという。そもそも、天目台も茶湯器の一つだった可能性もあるようだ。
掛け軸は、巻物を掛ける形式面だけで茶の湯の場に残ったわけではない。会場で見た《六祖截竹図》と《六祖破経図》などは、禅の教えを表す内容だ。《六祖截竹図》は、中国の禅僧、六祖慧能が鉈(なた)で竹を切った後に悟りを得た様子を描いたもの。禅の悟りは文字や説法などで伝えられるものではないことを経典を破ることで表現したのが《六祖破経図》だ。もともとはこうした絵を掛けた空間で茶をたしなむことで、禅の教えを受け止めていたわけだ。
茶の湯の場に掛かる軸物は、絵ばかりではない。《一行書 一夜落花雨満城流水香》は「一休さん」の愛称で知られる禅僧の一休宗純が書き記したものだ。仏の教えは密かに伝えられたものでも、一夜の雨に落ちた花が町全体の流水を香らせるように広まっていくという意味があるという。本来は禅の教えを見せるための掛け軸が茶の湯の場を飾るのは、なかなか興味深いことである。
現代の茶道は総合芸術として捉えられ、禅の教えを学ぶ場と認識されることはあまりないかもしれない。だが、かの千利休も禅を学んだ茶人だったし、実際禅寺には茶室が多い。修行の一環として茶の湯があったことを想像すれば、作法に厳しく静ひつな空気に満ちた茶道の現在に、また感慨を深めるのである。
取材・文・レイアウト=椋田大揮
イラスト=板垣万由子
展覧会情報
「特別展 茶の湯」
会期:2017年4月11日〜6月4日
会場:東京国立博物館(東京・上野)