【Webmagazineタマガ】アルチンボルドの寄せ絵に皇帝の力を見る/タマガ考


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 東京・上野の国立西洋美術館で「アルチンボルド展」が開催されている。花や動物などを組み合わせてパズルのように人物像を描く「寄せ絵」の画家として知られるジュゼッペ・アルチンボルドの絵画をよく観察すると、ハプスブルク家が支配した16世紀欧州の一端が見えてくる。

 

アルチンボルド《夏》

ジュゼッペ・アルチンボルド《夏》(1572年、デンヴァー美術館蔵 ©Denver Art Museum Collection: Funds from Helen Dill bequest, 1961.56 Photo courtesy of the Denver Art Museum)

 ジュゼッペ・アルチンボルド(1526~93年)は、神聖ローマ帝国ハプスブルク家の宮廷画家として、16世紀後半に活躍した人物だ。特徴的なのは、美しい花々、魚や貝、鳥、哺乳類などの動植物、あるいは飲料用の器や書籍といったいわゆる「物」を集めて組み合わせることで一人の人物の顔を作り出す「寄せ絵」と呼ばれる作品群である。まるでパズルでも作るかのように肖像画を描いているのだ。国立西洋美術館で開催中の「アルチンボルド展」には、実に約10点もの油彩作品が展示されていた。全世界に残っている油彩画は数十点しかないというし、そもそも日本では実物を見る機会がまれな作家だった。極めて貴重な展覧会といっていいのではないだろうか。  作品をつぶさに観察した後、同展のカタログを読んでいて、とりわけ驚いたことがあった。アルチンボルドが寄せ絵を制作するために人物のパーツとして描いた花や魚、鳥、果物などの 中には現代人には見覚えがあるものの、16世紀の人々にとっては珍しいと思われるものが含まれていたのだ。例えば連作「四季」のひとつ《夏》はさまざまな果物や野菜で人物の横顔を形作った作品だが、描かれた野菜の中にトウモロコシが含まれていた。同展カタログによると、トウモロコシは1525年以前にはヨーロッパでは栽培されておらず、その頃発見されたアメリカ大陸から輸入されていたという。今でこそ普通に食卓にのぼるトウモロコシだが、当時の人々から見れば、とても珍しいものだったに違いないのだ。

アルチンボルド《春》の写真

ジュゼッペ・アルチンボルド《春》(1563年、マドリード、王立サン・フェルナンド美術アカデミー美術館蔵 © Museo de la Real Academia de Bellas Artes de San Fernando. Madrid)

 ユリ、シャクヤク、オダマキ…「四季」の連作の中の《春》は、たくさんの花々の組み合わせで人の横顔を形作っている。実に幸福感に満ちており、文字通りの〝華やかさ〟をたたえた作品だ。花の一つ一つを観察すると、それぞれが極めて丁寧に描かれており、まるで植物図鑑のようでもある。国立西洋美術館主任研究員の渡辺晋輔さんによると、植物学者に調査を依頼することで花の種類が特定できたという。描かれた花はおよそ80種類。アルチンボルドは花の美しさだけでなく、たくさんの種類を描くことにも意義を見出していたのではないだろうか。

 「四大元素」という、科学史をほうふつさせる名の連作も出品されていた。そのうちの一枚、《火》は、オイルランプなどの道具で人物の姿を構成している作品。興味深かったのは、大砲や銃といった戦争の道具が描かれていたことだ。確かにこうした道具は「火器」と呼ばれることがある。当時から同じような認識だったことが分かる。連作「四大元素」のひとつ、《水》には、エイやエビ、タコやウミガメなどの水棲生物が多数描かれていた。中には、タツノオトシゴやゴカイなど、当時の人々がどうやって見たのだろうと想像をたくましくしたくなるような生物が描かれていた。

アルチンボルド(?)《火》の写真

ジュゼッペ・アルチンボルド(?)《火》(スイス、個人蔵)

アルチンボルド《水》

ジュゼッペ・アルチンボルド《水》(1566年、ウィーン美術史美術館蔵 © KHM-Museumsverband)

 しかし、アルチンボルドはなぜこんなに〝奇妙な絵〟をたくさん描いたのだろうか。渡辺さんは、とても丁寧に答えてくれた。

 「『四季』と『四大元素』は当時の皇帝だったマクシミリアン2世に捧げられ、皇帝を称揚するために描かれました。それにしても《春》になぜこのような膨大な種類の花を描くことができたのか。ハプスブルク家には植物園があったのです。そこでは世界各地の花々が集められていました。植物園に入るのは、皇帝や皇帝の許可を得た貴族のみの特権でした。《火》では、立派な帝国であることを誇示するために武器を描いた。《水》に関しても理由があります。宮廷があったウィーンは海のない町。海の生き物を集めること自体が大変であり、驚きをもたらすものでした。宮廷に世界中のものを集めることが、帝国や皇帝の力を示したのです」

 

国立西洋美術館主任研究員の渡辺晋輔さん

同展を担当した国立西洋美術館主任研究員の渡辺晋輔さん

 現代ほど輸送の技術が発達していなかった16世紀は、世界各地の動植物を集めて分類することは、よほど大変だったはずだ。権力を持った人間ゆえ成し遂げることができたのだろう。アルチンボルドの作品は、皇帝の威光が表れたものだったのだ。

 では、なぜアルチンボルドは「寄せ絵」という手段で表現したのだろうか。アルチンボルドを宮廷に招き入れたマクシミリアン2世は、「クンスト・ウント・ヴンダーカンマー」(ドイツ語で「芸術と驚異の部屋」を意味する)という部屋を作っていたという。珍しい生き物や植物の標本、奇妙な人工物などを系統立てて分類し、収めた部屋だった。今の博物館の原型でもある。小宮正安著『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』によれば、ヴンダーカンマーの一つの要素として、ただ珍しいものを集めるだけでなく、自然のもの、化学のもの、珍奇なもの、人工のものなどのジャンルに分類し、さらには見せ方を考えて当時は高 価だったというガラス扉のキャビネットに収納するなどしていたという。珍しいものを収集し、見せるということ自体が、まさにアルチンボルドの作品に共通するのではないか。アルチンボルドの作品は、それぞれが一枚の絵画に築かれた「ヴンダーカンマー」といえるかもしれない。渡辺さんによると「アルチンボルドの作品は皇帝の寝室に飾られていたという証言もある」という。「驚異の肖像画」と呼んでもいいかもしれない。

取材・文=椋田大揮

 

 

アルチンボルドメーカーの写真

会場入口の向かい側に設置されていたアルチンボルドメーカー。前に立つとカメラで撮られた自分の顔がアルチンボルド風になって画面に現れる

 

※この展覧会に出品されている「四季」などの連作には、異なるヴァージョンの作品が含まれています。
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