2007年多摩美術大学芸術学科卒業。
怪獣造形作家ピコピコ氏に弟子入りし、本格的に着ぐるみ制作を開始。
同時に着ぐるみアクターの事務所に所属し、プロの着ぐるみアクターとして活動。
現在は、多数の事務所、ご当地キャラ団体、美術制作スタジオと、フリーランスとして契約し、着ぐるみや舞台美術の制作、アクターを請け負う。
学生時代の趣味がいつの間にか仕事に
着ぐるみの世界に惹かれて自ら制作し、身につけて様々なキャラクターを演じる露木妙さん。
高校、大学と趣味で着ぐるみにかかわり続けてきた。
本学科卒業後、あるきっかけで制作のプロと出会い、自身の前にも専業の作家への道が開けた。
東京都江東区亀戸を訪れると、仏像のような着ぐるみのキャラクターが歩いている場面に遭遇することがある。ご当地キャラクターの「シャカメくん」だ。お釈迦様の「シャカ」と亀戸の「カメ」をかけたキャラクター名は、釈迦の誕生日「花まつり」を30年以上前から亀戸の歩行者天国で祝っていることにちなんだという。面長で下ぶくれの顔に長い耳たぶ。仏像特有の螺髪(らはつ)はなんとピンク色。緑の体に朱色の袈裟(けさ)をまとい、カラフルな後背をつけたその姿は、やわらかな素材でできた着ぐるみということもあってとても愛らしい。取材に訪れた時には周りに多くの人たちが集まり、皆楽しそうな笑みを浮かべていた。この着ぐるみの作者が、本学科出身の露木妙さんだ。着ているのも本人だという。
露木さんが初めて作った着ぐるみは、高校の文化祭の時に自分で着たクマだった。普通の洋服と違って着ぐるみを作るためにはたくさんの布が必要で、縫い合わせるのにも時間がかかる。
作業は大変だが、着ると自分はほかのものに変身できる。しかも出会った人たちはたいてい笑みを浮かべて接してくれる。ほかのことでは得がたい喜びがあるのだ。
本学に進学すると、毎年秋に開催される芸術祭の実行委員会に入った。現在は、同委員会護美局のマスコットキャラクターは「タマムシ」だが、タマムシが誕生するまでは、露木さんが制作したマスコットキャラクターが芸術祭での人気者だった。露木さんが委員会を離れてからも、着ぐるみ制作をしていたことを耳にした後輩たちが露木さんに制作の工程を聞き、着ぐるみ作りの基礎を教えたという。そうして生まれたのが、タマムシである。そして昨年の芸術祭でも「タマムシ」の着ぐるみはキャンパスのあちこちを歩き、来場者の笑顔を誘っていた。
本学科では、平出隆教授が担当する書物設計ゼミに所属していた。書籍の装幀なども演習の対象になるこのゼミでも、露木さんは特異な才能を発揮していたという。課題でわずか4ページの冊子を制作したとき、文字のレイアウトはもちろん、その折り方の工夫まで教授をうならせるものになった。一方で、今はない演劇系のゼミにも入っていた。書籍というものの姿を作る装幀と、人間を演じる演劇。がわと中身。いわば露木さんはその両方に、なみなみならぬ興味を持っていたのだ。そう考えると、自ら制作し、自ら身につける着ぐるみ作家になったのは、宿命だったとさえ思えてくる。
もっとも、学生時代は着ぐるみを仕事にしていこうとは思わなかったという。卒業後はほかに仕事を持ちながら、趣味で着ぐるみを作っていた。生業にするきっかけとなったのは、ある舞台に登場する着ぐるみの中に入ってキャラクターを演じてくれないかという、友人を介した依頼だった。思ってもみないことだったが、露木さんにとっては大好きな着ぐるみに触れられる仕事だ。喜んで依頼を引き受けた。そこで出会ったのが、着ぐるみの制作者だった。プロの制作者との出会いは、露木さんの道を開いた。それまでは、試行錯誤する中で材料による耐久力の違いなどを見極めながら、自己流で作っていた。だが、プロはやはり違う。布やフェルトなど素材の選択、中に入った人の動きを考えた構造、縫製の方法などたくさんのアドバイスをもらった。一方、自ら身につけて演じることで、ここに目があればもっと見通しがよくなるといったことや着心地を追求できるのは、もともと露木さんが持っている強みだ。実際に演じる視点で作るということは、大げさに言えば魂と身体の一致にもつながる。なかなか理想的なあり方とは言えないだろうか。
「学生時代にやってきたことと、人との関係が今の仕事につながっている。着ぐるみに関係するすべてのことを楽しんでいます。これからは、よりたくさんの人に着ぐるみの楽しさを知ってもらい、もっと身近なものにしていきたい」
自身もプロになった露木さんは、実に楽しそうである。
取材=長田詩織、森大河
文=森大河
撮影=森大河
※本記事は『R』(2015)からの転載です。