そこからここへ〜野中早智さん(ギャラリーディレクター)

 多摩美術大学芸術学科では、本学科の素顔を見せる雑誌『R』(編集長:小川敦生教授)の記事を電子版で配信いたします!

大学での学びとのギャップに苦しみながら見つけ出した道

もともと美術が好きというわけではなかった。
だからこそ、「公正な目で商品として美術品を見ることができる」という。
芸術学科在学中は、さまざまな展覧会のキュレーションやイベントのオーガナイザーを担当した。
「関わること全てが自分の作品と思える活動を、これからも続けたい」と思っている。


  2017年に本学科を卒業した野中早智さんは、東京・銀座のギャラリーに勤め始めた後、ディレクターとして働くようになった。

 学生時代から広告会社のインターンや施工会社でのアルバイト、「五美術大学交流展」​​の代表など、学外でも活発に活動してきた。大学在学中に香港のアートバーゼルに行った際にギャラリーの仕事を初めて目の当たりにし、興味を持ったという。ただし、もともと美術が好きなわけではなかった。だからこそ、「自分は公正な目で商品として美術品を見ることができるのではないか」とも言う。

 「美大では知識をつけ、既存のアイデアを膨らませることよりも、何もないところから自分のデザインやアイデアを生み出すことが多く、授業でも自分が次に何をすべきなのかを考えされられた」

 ギャラリーでの仕事は、野中さん一人で、全く0の段階から企画を練り上げ、進めていかなければならない。大学での学びが、役に立っていると感じるそうだ。

「仮屋美紀個展 Don’t eat me! キノコウサギはしあわせになりたい……?」会場風景(東京・渋谷 Bunkamuraギャラリー)

 2022年5月にBunkamuraギャラリー(東京・渋谷)で開かれた「仮屋美紀個展 Don’t eat me! キノコウサギはしあわせになりたい……?」は、コンセプトも何もない状態からのスタートだったという。作家とコミュニケーションを繰り返す中で、「キノコウサギ」という、展示の軸となる組み合わせにたどり着いた。作家との共同作業の過程で新たな道を導き出し、プロデュースを進めていく。

 「失敗することもあるけど、うまくいって作品が売れた時はもちろん、作家の知名度が上がり多くの人に作品を見てもらえた時はものすごくうれしいし、報われたなと思う」野中さんは笑顔で語ってくれた。

 その笑顔の裏で、ギャラリーで働き始めた頃は、自分が学んできたことと、仕事で求められることのギャップに苦しんだという。ギャラリーでは一般に、ビジネスとして入場料や絵の売買による収益確保が重要視されている。しかし、大学で展示を学んだときには、作家が何を意図して制作したのかを聞き出したり、作品をどういう風に並べるといいのかなどを考えながら、企画を練り上げ、実践していくということをやっていた。逆に美術品を「売る」ことに関する授業はなかった。そのため、「作家に有名になってもらうには、多くの人の手にとってもらうには、どうしたらいいんだろう?」と何度も思ったそうだ。働き始めてそのギャップに戸惑いを覚え、つらい日々が続いたという。

展示設営のために作成した図面

 時には作家のコンセプトや表現したい意図をあえて発表しない場面もあった。そんなギャップに悩まされながら、展覧会ごとに新しい試みを行うようにしているという。今回は、絵本仕立ての文章パネルを作品と一緒に並べた。それは、見る人に絵に描かれている場面だけでなく、背景やストーリーを想像してもらえるようにという考えからだった。文章によって作品の魅力が引き出され、絵の中の「キノコウサギ」が命を宿し、今にも動き出しそうに感じる。それが見る人の想像力をかき立てる。来場客が絵の世界に入る気持ちになることができれば、作家のファンが増え、より多くの人に絵を所有してもらえると考えた。この試みは好評を博し、初めて、大学で学んだことがギャラリーでも生きたという実感があった。そんな野中さんのことを作家の仮屋美紀さんは、「頭の回転が早くテキパキしている〝 スーパーディレクター〟」と表現した。

 「関わること全てが自分の作品と思える活動を、これからも続けたい」と野中さんは言う。大学での学びは、これからも大いに仕事に生かされそうだ。

取材=本島美瑠、イ リン

文=本島美瑠

撮影(*)=イ リン

​​​​​​野中早智(のなか・さち)

1994年生まれ。2017年多摩美術大学芸術学科卒業。19年にギャラリーオリム(東京・銀座)に就職し、ディレクターを務めた。

※野中さんは、2022年7月末をもって当該ギャラリーを退職しました。本記事は、在職中に取材した内容です。


※本記事は、『R』2023版(2023年3月15日発行予定)に掲載されます。