そこからここへ〜石崎尚さん(愛知県美術館主任学芸員)

 多摩美術大学芸術学科では、本学科の素顔を見せる雑誌『R』(編集長:小川敦生教授)の記事を電子版で配信いたします!

今やりたいと思っていない仕事こそ重要

多摩美術大学の芸術学専攻で修士号を取り、世田谷区美術館や目黒区美術館を経て愛知県美術館で学芸員として活動している。
大学院に在学していた当時は、学部の授業にもたびたび顔を出していたという。
修士論文では彫刻家のトニー・クラッグについて書いた。
学芸員の現場では「今やりたいと思っていない仕事こそ重要」と言う。
はたしてその真意は?


 「人の生き様に興味がある」という石崎尚(いしざき・たかし)さんは、学芸員として仕事をすることの魅力の一つに作品や作家が身近にある点を挙げる。ある美術家の回顧展を開くとすると、その美術家の人生に出会える。新しく発見された作品を目の当たりにすることもある。そこで得た第一発見者としての驚きは何ものにも代えがたい。さらにそうした作品を展覧会で紹介すること自体に、魅力ややりがいを感じるという。

 東京の目黒区美術館に在籍していた2009年に同館で開かれた『’文化’資源としての〈炭鉱〉展』は、同僚の正木基さんとともに担当した展覧会である。2年後にユネスコの世界記憶遺産に登録​​される山本作兵衛《筑豊炭鉱絵巻》をはじめ野見山暁治、池田龍雄、横山操、山下菊二らの​​絵画、さらには土門拳​​や奈良原一高の写真や川俣正​​のインスタレーションなども含めた幅広い作品を戦後から現代までの文化や社会との関連の中で紹介し、社会や経済といった分野を横断して新たな視点を提出する画期的な内容だった。美術の歴史であまり取り上げてこられなかった「炭鉱」というテーマに光を当てることができたことには、極めて大きな意義を感じたという。美術館には広く公共性が求められる一方で学芸員には美術に関する専門性が必要だ。展覧会の開催や研究を通して新たな価値を生み出すバランス感覚が、学芸員には求められるのだ。

 美術展を開く際には、しばしば「夢を広げる」作業と「広がった夢を実現できる形にまとめる」作業の二つが必要となる。たとえば現代美術家を対象にした場合は、作家がもっぱら「夢を広げる」ことを担当し、学芸員は自ずと「夢を実現できる形にまとめる」役を担うことになる。

 美術家の発想はいつも素晴らしいが、展覧会を実現するためには、「夢」を部分的にあきらめることもある。展示空間の制約や予算の問題を常に頭において計画を進めるのは、学芸員の立場ではやむをえないことである。こうした側面を石崎さんは、「遠くまで水を届けるための水道管を作る仕事」にたとえる。しかし、水道管なしで水を届けるのは至難である。展覧会という「水道管」を作って作品という美味しい水を人々に届けるのは、学芸員の仕事であり、世の中にとっても極めて意義があることなのである。

 石崎さんは高校の頃に「評論との出合い」を経験したという。高校のサークルで映画評論を書いていたのだ。映画と美術ではまったく異なるようだが、石崎さんはここで、見たものを文章にすることにのめり込んでいく。「芸術を言葉にする」経験のはじまりである。

 今振り返ると、「美術館におけるキュレーションや美術史研究などの分野にもこうした方法論は通底している」と言う。特に現在仕事にするようになった美術館におけるキュレーションについては、批評的な目で展示する作品を考え、企画内容を構成し、カタログの制作にも臨む。「批評眼」なしには、キュレーションは成立しないのだ。

 高校を卒業して玉川大学文学部に入学してからは、美術への傾斜を深め、多摩美術大学修士課程に進む。修士論文のテーマは、トニー・クラッグ。クラッグは英リバプール生まれ、スチール、ガラス瓶、プラスチックなどを自在に使って巧みな造形物を作る世界的な彫刻家だ。当時の本学科では、美術評論家として著名な峯村敏明氏や故・本江邦夫氏、建畠晢・現本学学長らが教授として教鞭をとっていて日々刺激の連続で、学部の授業にもしばしば出ていたという。修士課程を修了した後は、大学の助手などを経て、世田谷美術館、目黒区美術館、そして現在勤めている愛知県美術館へとつながった。

共訳書『彫刻の歴史 : 先史時代から現代まで 』(アントニー・ゴームリーほか著、林卓行と共訳、東京書籍、2021年)

 学芸員の仕事には、いわゆる「自分展」すなわち自分自身の研究実績を余すことなく反映した展覧会や、実現に強い希求をもって臨む「やりたい展」もあれば、地域の作家に関するテーマや所蔵作品によるコレクション展示など、館の使命として開催するような展覧会もある。中には、しばしば学芸員に敬遠される仕事もあるという。しかし、石崎さんは「むしろ、今やりたいとは思っていない仕事にこそ、重要な課題が隠れていることがある」と言う。

 そうした自身の経験も踏まえ、学芸員などの美術に関連する仕事に将来就くことを考えている学生や美大を目指す学生には、幅広くいろいろな分野にアプローチしてほしいという。面白い仕事をしている人が、実は人類学や考古学といった美術とは直接の関連のない別のフィールドから来た人であることも多いという。

愛知県美術館外観

 さて、学芸員とはいったいどんな仕事なのか。石崎さんはちょっと面白いたとえをしたので、紹介しておこう。

 「学芸員は美術史などの研究者とはどう違うのか。研究者がゴルファーだとすれば学芸員は野球のバッター。ゴルフでは止まっている球をじっくり見て打つが、野球では高速で飛んでくる球を必死に打ち返す。前者の方が遠くまで球を飛ばすことができるし空振りはないのが普通だが、後者はヒットを打てるとは限らず三振することもある。しかし、変化球などを必死に打ち返すうちに、予期せず面白い出合いが生まれることがある」 

 ゴルフにも野球にも深みがある。作家や作品をじっくり長い時間をかけて研究するか、しばしば担当する展覧会の企画を必死で実現する中で喜びを見出すか。 美術の世界での仕事を目指す学生にとっても示唆に富む言葉である。

取材・撮影・文=佐久間大進

石崎尚(いしざき・たかし)

1977年、東京都三鷹市生まれ。玉川大学文学部卒業。多摩美術大学美術研究科修士課程修了。世田谷美術館、目黒区美術館学芸員を経て現職。

 


※本記事は、『R』2023版(2023年3月15日発行予定)に掲載されます。