教員の部屋へようこそ〜家村珠代教授

 多摩美術大学芸術学科では、本学科の素顔を見せる雑誌『R』(編集長:小川敦生教授)の記事を電子版で配信いたします!

授業で学生同士の活発なコミュニケーションを促す

学生同士の言葉のやり取りが、一番の刺激になる。
展覧会制作の授業では、学生たちは作家と一緒に一つの展覧会を作りあげた。
大学生に戻れたら、「学科を超えて友達を作る努力をする」と言う。


 東京の目黒区美術館で学芸員を務めていた経験がある家村珠代教授は、本学科で美術展にかかわるさまざまな授業を開講している。

 そのあり方は双方向型あるいは多方向型とも呼ぶべきもので、学生は積極的な参加が求められる。例えば「美術館教育論」の授業では作品の解説シートや子ども向けの解説物づくりなどの実践演習などを通して各々が成果や考察を発表、それに対して学生たちによる質疑応答の時間がある。「同級生がどんなことを考えているのかを知ることは、大学生活の中で1番刺激になる」と家村教授は考え、教育が教員側からの一方通行にならないよう、学生と積極的にコミュニケーションをとりながら授業を進めていくことを大切にしているのだ。大学にいる間にいろいろな価値観を持った人とぶつかってお互いに共有することで社会への備えにもなる。筆者も家村教授の授業を受けたときには、ある作家の展示風景の写真を見ながら「これはこういう展示の意図があったのではないか」「私はこう思う」といった意見が飛び交い、考え方の多様性を実感した。

 家村教授が担当する「展覧会設計ゼミ」では、毎年気鋭の現代美術家を招いて「家村ゼミ展」を開催している。ここで学生たちはキュレーターの経験をすることになり、もちろんここでも、活発な意見交換が行われる。2021年に開かれた「家村ゼミ展2021『今年は、村田朋泰。―ほし 星 ホシ―』」は、前年とは逆の方法で展覧会の準備が進められたそうだ。20年は、新型コロナウイルスの影響で作家とはZoomでコミュニケーションを取らなくてならなかった。だが、21年は毎週作家が大学まで足を運び、学生と一緒に作っていくという贅沢(ぜいたく)なゼミだったという。たとえば、来場者がリモコンで操縦できるラジコンカーが走る周囲のジオラマのような仕掛けは作家のアトリエから持ってきた過去の作品の材料などだったのだが、設置は作家と一緒に学生が行った。それは単なる作業ではなく、作家の「過去」に触れるという貴重な経験ができたのだ。展覧会設計ゼミは、展覧会が終わったらドキュメントの制作に入る。ドキュメントとは、「展覧会を紙の媒体に変えたもの」という。単に記録を作るためだけにするのではない。学生たちはドキュメントの制作によって、何度も記憶を掘り起こし、経験を体に刻み込む。誌面構成や文章の執筆なども自分たちで行うことで、より強固な経験になるのだ。

展覧会設計ゼミが制作している展覧会のドキュメント

 「もし今大学生に戻れたら何をしますか?」という質問をぶつけると、「学科を超えて友達をたくさん作る努力をする」という返事が返ってきた。美大にいる時期は、実技の学科にいるクリエイターの卵たちと積極的に接することで、多様な価値観や感じ方を目の当たりにする大きなチャンスでもある。そして、こう続けた。

 「学生は今が一番楽しい時。いろいろなことを勉強して吸収できる時期だから、コロナ禍が明けたら、人と接しないとできないことを積極的に体験してほしいですね」

 取材・撮影・文・レイアウト=足立日菜子

家村珠代(いえむら・たまよ)

1960 年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻博士課程満期修了。インディペンデント・キュレーター。多摩美術大学美術学部芸術学科教授。1991 年〜2006 年の間、目黒区美術館の学芸員を務める。手掛けた主な展覧会は、『1953年ライトアップ― 新しい戦後美術像が見えてきた』 展(1996年、目黒区美術館)、『小林孝亘展― 終わらない夏』展(2004年、目黒区美術館)、『家村珠代 連続企画 “ひとり” Vol.1. 袴田京太朗』展(05年、 GALLERY MAKI)、『村田朋泰展 俺の路・東京モンタージュ』展(06 年、目黒区美術館)、『家村珠代 連続企画 “ひとり” Vol.2. 牛島達治― ぬけてゆくこと』展(06年、GALLERY MAKI)、『丸山直文展― 後ろの正面』展(08 年、目黒区美術館)など多数にのぼる。家村ゼミ展ではこれまでに髙柳恵里・髙山陽介・千葉正也(17年)、泉太郎(18年)、日高理恵子・村瀬恭子・吉澤美香(19年)、金氏徹平(20年)らを取り上げた。


※本記事は、『R』2022版(2022年3月15日発行)に掲載されたものです。