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May 06, 2010

公開講座「日本の神像」 講師:畑中章宏特別研究員、鶴岡真弓所員

畑中章宏特別研究員を講師に迎え、以下の通り公開講座を開催します。 また、後半には鶴岡真弓所員が登壇し、畑中特別研究員との対談を行う予定です。

公開講座21世紀文化論 2010年度第2回 「日本の神像 〜その顕れと装飾のざわめき〜」 日時:2010年5月15日(土曜)13:00開場 13:30開演 16:00終了予定 場所:多摩美術大学八王子キャンパスレクチャーホールBホール 入場料:無料 定員:当日先着100名(満席の場合は入場をお断りする場合がございます。予めご了承ください。) お問合せ先:多摩美術大学芸術学科研究室 042-679-5627

宝誌和尚立像

二上射水神社男神像

 日本列島上で古くから信仰されてきた「八百万の神」は、“姿形がない”ものだと多くの人は思っているかもしれない。ところがこういった従来の見方を覆す「神像彫刻」が最近は注目を集め、その独自の形態から日本人の原初的な信仰を明らかしようとする試みが始まっている。  神像は8世紀から9世紀に、仏教の影響により、仏像を模倣する形で造形化された。その一方で、神像には仏像には見られない大きな特徴がある。経典や儀軌でその像容が定められた仏像と異なり、もともと“姿形がなかった”日本の神は、自由に表わすことが可能だったのだ。  地方の神社に秘してまつられる男神像や女神像、神と仏を結びつけた聖僧たちの肖像、日本のカミの霊性を宿した十一面観音像……。神像彫刻を見ていくと、全身に鑿跡を残したままであったり、体を奇妙に捩じらせていたり、ざわめきゆらめきながら、この世界に出現するさまを表わしているものが少なくないのだ。  フランスの哲学者ロラン・バルトは『表徴の帝国』(1970年)において、僧侶の顔が裂け、中から十一面観音が顔を現わす異形の彫刻「宝誌和尚立像」(京都・西往寺)を紹介し、次のように記した。 「表徴とは裂け目である。そのあいだから覗いているのは、ほかならぬもう一つの表徴の顔である。」(宗左近訳)  寺伝により、観音の化身である中国南朝時代の僧・宝誌の肖像とされてきたこの鉈彫り像が、本地垂迹(日本の神々は仏教の仏が仮の姿で現われたものとする説)を表わした神像である、という仮説にも触れてみたいと思う。  カミとホトケの裂け目から垣間見える、知られざる“日本の野生”への招待――。

講師プロフィール; 畑中章宏(はたなか・あきひろ) 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。日本大学芸術学部写真学科講師。編集者として『別冊太陽 神像の美――すがたなきものの、かたち。』『日本の秘仏』(ともに平凡社)などを企画編集、小学館「サライ」2006年2月16日号特集「知られざる世界 神像の見方」を企画編集執筆。2009年12月に理論社〈よりみちパン!セ〉シリーズで著書『日本の神様』を刊行。

ポスト @ 2010/05/06 20:06 | 21世紀文化論

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