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Sep 28, 2009
鶴岡真弓インタヴュー「ケルトって何だろう?」
隔月刊行の雑誌『旅』11月号に鶴岡所員のインタヴューが掲載されています。 『旅』新潮社のサイト
アイルランド特集が組まれた今号では、「ケルトって何だろう?」というQ&A形式の記事の中で、 鶴岡所員がケルト文化についてわかりやすく答えています。 「ケルト案内」初級講座としてご覧ください。
Jan 27, 2009
富山県南砺市・調査報告8
お膳の後にお蕎麦を食べ、報恩講の食事はひと段落します。 (南砺市名物の五箇山豆腐)
食後、再び合掌し、 「われ今この浄き食をおわりて 心ゆたかに力身にみつ ごちそうさま」 と斉唱して、報恩講は終わります。
(蕎麦粉と水のみで打った蕎麦)
単に形式ではなく、心を伴い、味わい感謝する共同の食事という考え方は、 家庭の食事でも同じであり、自分のために命を捧げてくれるものや、食材を作ってくれた人、 料理を作ってくれた人への感謝が原点になっています。
(素麺瓜と蕗と胡桃)
食材には土地や太陽の光や雨の恵みも関わっており、料理を作るのにも火や水は不可欠です。 開祖への感謝から始まったというこの報恩講ですが、進んでゆくうちに、 宗教という枠を超えた、環境そのものとの関係性に繋がることが印象的でした。 食事という小さな営みが拡大していくことを感じさせます。
また、民藝は道具を出発点にしていますが、柳宗悦はそこから道具の作られる環境へと行き着きます。
今回の調査では、「土徳」と、浄土真宗の行事、民藝という一見別々の要素が、土地を媒体に 繋がり、環境と一体となっている様子を見ることができました。 一口にその土地の風土と言ってもさまざまな切り口があり、 それらを繋げている大元の存在なくしては、文化の継承はなされないのかもしれません。
もちろん、2日という短期間での調査では、土地の方々が実感しているものには、 まだ触れることができていないのかもしれません。 そのほんの断片でも、お伝えできていれば幸いです。
ところで、雑誌『ku:nel(クウネル)』最新号に、福井県の報恩講の様子が紹介されています。 土地によって同じ行事にも違いがあり、興味深いです。
こうした食文化調査は、今後も継続して行う予定です。
Jan 14, 2009
富山県南砺市・調査報告7
報恩講のお斎(おとき)には、二つのお膳が用意されます。
お椀のふたを開けた様子です。 一の膳は6品。 手前真ん中から時計回りに、なめこの柚子おろし。むかごご飯。 小豆と南瓜のいとこ煮。煮しめ(牛蒡、煤竹、人参、ぜんまい)の上にのった五箇山豆腐。 ずんだの大根あえ。そして真ん中の高槻が、そうめん瓜とふきの煮物に胡桃。
二の膳は7品。 手前右のお椀があつもの五種(湯葉、椎茸、お麩、卵など)。 その上の皿には右からりんご。南瓜の煮物。蕎麦生地にハムとアスパラを巻いた蒸しもの。 ジャガイモ。ゆべし。左端にとち餅があります。
このほか、大皿とお重に詰められた蕪の梅酢漬けと煤竹の煮物、そして 呉汁(漉す前の豆乳に塩で味付けしたもの)、手打ち蕎麦、地酒が振舞われました。 法会の精進料理なので、肉魚はなく、動物性たんぱく質は卵くらいでした。
食べきれない量ですが、それは皆了解済み。 数やお品書きに決まりはないものの、多いことが常なのだとか。 親鸞の好物の小豆は必ずそえられます。 お椀からはみ出すほどの五箇山豆腐はお決まりで、「はみ出すほど大きいことが大事」と言います。 残す人にはあらかじめ容器が用意され、料理を詰めて持ち帰り、家族で頂きます。
一年に一度の特別な食事には、珍しい食材を奮発して用意したり、 普段は食べられない料理を連想しがちですが、このお膳には変わったものは見当たりません。 「よその土地から取り寄せる食材はあるのですか?」と質問したところ、 やはり、それはないですねえ、という答えがとても自然に返ってきました。
「自然の徳と土地の実りに感謝する食事ですから、自ずと土地のものになるのでしょうね。 おかずに使った食材は、この土地で作られたり、裏山で採ってきたものに手を加えたものばかりです。 呉汁の大豆はもともとすり鉢ですり潰して作りますが、今はフード・プロセッサーを使います。」
土地の実りを大切に頂くことこそ贅沢なのだと、当時の人達は考えていたのかも知れませんね、 と料理を作った方は話すのでした。
Jan 08, 2009
富山県南砺市・調査報告6
報恩講では、まず「正信偈(しょうしんげ)」という、親鸞によって書かれたお経を読みます。 そして、「和讃(わさん)」を読み、最後に「御文」という蓮如が信者に対して送った手紙を 読み上げます。
(報恩講の様子) (御文を読み上げる)
「正信偈」は漢文ですが、「和讃」は日本語で書かれたお経です。そして「御文」は、 当時としては珍しい、平易な言葉によって綴られています。 どの信者にも共有することのできるような、平易な内容となっているのだそうです。 また、こうしたお講が浸透したために、浄土真宗の多い地域は当時としてはとても高い 識字率を保っていたといいます。 このような共通の儀式を持つことは、平等なのに統制を保つという、浄土真宗の特徴も作りました。
(仏前で食事「お斎」をいただく)
御文を読み上げると説話があり、お膳を皆で運んで囲みます。 一同、合掌し、 「み光のもと われ今幸いに この浄き食をうく いただきます。」と斉唱した後、 お斎をいただきます。
そのお斎は、当時の「ハレの食事」が今も続けて食べられているものです。 献立は素朴ながら、たくさんの趣向の凝らされたものとなっているのでした。
※次は献立の紹介です。
Jan 07, 2009
富山県南砺市・調査報告5
浄土真宗(真宗)の盛んなこの地では、お講という集まりが昔から続けられてきました。 お講の始まりは、宗祖・親鸞の没した11月28日にちなんで、毎月28日に信者が集まり、法会を 行うようになったことだったといいます。 お講はひとつの共同体を作り、そこに住む人たちが協力し合って生活する風土を育みもしました。
(報恩講の食事の様子)
11月28日前後には、毎年最も大きな法会を行うようになり、それが「報恩講」となりました。 皆で仏前に集い、お経を唱えて、お斎(おとき)と呼ばれる食事をいただき、 親鸞によってもたらされた徳に感謝します。
しかしなぜ、親鸞を偲ぶことと、食事が結びつくのでしょうか?
太田住職が説明してくださいました。 「『報恩講』は『報恩謝徳(受けためぐみや恩に対して報いようと、感謝の気持ちを持つこと)』 に繋がります。人の恩と、自然の徳を受けることが幸い。自然とは、仏様のことでもあります。 その幸いを味わうための方法を皆で確認しあったとき、共感が確信になります。 当時の人たちは、親鸞を、自然の徳が人格として現れた化身として考えました。 その化身を感じ、恩を味わうことが、報恩講であり、 また、食事をするという動作に行き着きました。」
昔はどのお寺にも報恩講になると多くの人が訪れ、お祭りのように賑わったそうですが、 今は昔ほどではなくなってきたとか。大勢の食事の支度をするのも大変になったという 話も聞きました。 それでもこうして続いていくのは、単なる形式ではなく、共に味わい感謝する共同の食事 という、根の部分が揺らいでいないからなのかも知れません。
報恩講が始まる前の準備の様子です。仏壇や部屋を飾ってお供え物をし、お膳の準備をします。
※次回も報恩講の内容を報告致します。
Dec 26, 2008
富山県南砺市・調査報告4
五箇山の暮らしには、土地の恵みに根ざして暮らしていた、人びとの知恵があります。 そこには自然と長い時間を寄り添ってきた関係が根付いていました。 しかし、都市化や生活事情の変化により、その関係性も変わりつつあります。 五箇山に限らず、南砺市でお会いした方々は皆、今後どのように先人たちが培ってきた 暮らしの知恵や文化を継承していくのかを考えておられました。
今回の調査の目的のひとつに、浄土真宗の重要行事「報恩講」への参加がありました。 富山県は、浄土真宗(一向宗)が深く根付いている地域です。 そして、秋から冬にかけて、開祖・親鸞の命日を偲んで、「報恩講」という講が行われます。 今回は南砺市で住職をしていらっしゃる太田浩史さんと南砺市ヨスマ倶楽部の皆様のご案内で 参加することとなりました。
太田住職は民藝にも造詣が深く、自然今回の旅でも民藝との出会いが多くありました。 「芸術は『私』があるけれど、民藝には『私』はいらないのです。」と太田さんは仰います。 「そこにあるから普通に使うし、高価だから、希少価値があるからといって、飾ったり蔵にしまう だけということはしません。道具は使われるために作られたのです。だから、使ってあげるのが いい。その民藝の気風と、私たち南砺市の土壌に育っている蓮如上人以来の伝統、『他力』の精神風土 が合っているのでしょうね。」 他力とは、自我を主張することや個人主義、自分だけ得をすればいいという考えとは反対に、 生きること自体を「おかげさま」と人びとがお互いに感謝することだと言います。
柳宗悦は、弟子・棟方志功の作品に、この「他力」の影響を見て、それを追究して理論化し、 「土徳」を発見したのでした。そしてまた、そこに民藝の精神と同じものを見出しました。
(とても薄手の中国のお皿ですが、よく見ると、たくさんの魚の姿が手で描かれています。 何気ないお皿一枚にかける手間を惜しまず、楽しんでいることを感じさせます。) (雑誌『工藝』の初期本です。タイトルが漆によって手描きで起こされています。) (こちらは、当時の布張りの表紙に、やはり手描きで文字が書かれています。民藝運動の志がそのまま 表紙や本の作りにも表れているようです。)
「『土徳』は本来、普遍的なものです。ここだけにしかないものではないし、 その土地土地で違う土徳が存在している。だから、本来は私たちがあえて『土徳です』と 言うのもおかしいのです。なぜなら、それは言葉にならない、空気のようなものですから。」 太田住職は、「三流の都会であるよりも、超一流の田舎でありたい」と言います。 表向きの生活面が便利になればよいのではなく、その根にある思想や土着性を捨てずに育てながら 生活をしていく姿勢が、その言葉に伺えます。
※本年のブログはこれで一休み致します。 この調査報告は、1月も続いて終了する予定です。
7月某日、IAAにて今秋開催する展覧会《石子順造と丸石神》の調査がおこなわれました。
場所は現代美術家であった故・小池一誠氏の邸宅。 出品作品の選定も兼ねた、小池氏の作品調査となりました。 参加者は、この展覧会の企画者である椹木野衣所員と特別研究員の本阿弥清さん、それにIAAスタッフ2名。 炎暑のなか、ご遺族の協力をいただいて次々に出てくる作品を採寸し、記録に収めます。
この調査により、小池氏の作品、大小16点以上を展示することが決まりました。
小池一誠氏は1940年に生まれ、多摩美術大学を卒業。 1963年に美術評論家・石子順造と出会い、1966年にグループ「幻触」に参加し、 その後現代美術家としての道を歩み、2008年に急逝しました。 1960年代後半から70年代に石の作品を発表して以来、 静岡での発表を除けばほとんど知られることはありませんでしたが、 作品の延長として石子順造たちとともに、国内の「丸石神」の調査・探索をおこないました。 そこから、小池氏が美術を超えた思想ともいうべきものを追求した姿をうかがえます。
※展覧会「石子順造と丸石神」は、来月16日(土)〜30日(土)に 四谷ひろば・NPO法人CCAAのギャラリーランプにて開催予定。 詳細は、近日中にHPにて告知いたします。