[title] Institute for Art Anthropology INFORMATION

Dec 13, 2008

富山県南砺市・調査報告3

「土徳」は、民芸運動の創始者柳宗悦によって名づけられました。 昭和20年、柳は、南砺に疎開していた愛弟子、版画家の棟方志功の作品が一層輝きを増したことに驚き、それがこの地方の自然の豊かさと、綽如上人、蓮如上人によって開かれた念仏の生活によるものだったということを見出します。 柳はそれを「土徳」と名づけ、さらに昭和21年五箇山をたずねて妙好人赤尾の道宗に強く惹かれ、 昭和23年、柳は城端別院にこもって『美之法門』を執筆します。この『美之法門』は、民芸思想の究極とも言われる書です。 (写真:昭和21年、五箇山を訪れた民芸運動の大家たちと土地の人びと。左端が棟方志功、 左から三番目が柳宗悦。前列右から二番目が濱田庄司、三番目が河井寛次郎)

五箇山は、白川郷と並ぶ、茅葺きの合掌造りの家々で世界遺産に指定された区域です。今も昔の姿そのままに、家が並んでいます。 私達の訪れた時に、ちょうど屋根の修理をしていました。以前は村の住人も屋根の修理をできたので、 共同で負担も軽く修理できたが、今は高齢化が進み、村の中で修理できる人がいないとのこと。 しかも、山林への杉の植林が進んだことで、それまで自生していた茅が少なくなり、材料の調達も 困難になっています。 今は麻で代用することもあるそうですが、やはり、中が空洞の茅の茎でないと、 耐久性がなく、冬の積雪の際に屋根が持ちこたえられるか、不安なのだそうです。

「今はこの辺りの山を見渡しても、杉ばかりでしょう。昔はこれが全部茅だったんです。春先には一面に かたくりの花が咲いて、それはもう、天国のような光景でしたよ。 私達は、何とかしてこの山をもう一度茅の自生する山に戻したいのです。」

ちょうど冬の積雪に備えて、家の周りを茅で囲っている風景も見られました。そのようにして慣らした茅を、次は屋根に葺いて使います。 一回に屋根全体を修復するのではなく、老朽化した部分から大体20年周期で葺き替え、全体を葺き替えるのに100年かかるのだそうです。

現代の生活の中で、この姿をどう維持していくのか、それはそこに暮らす人にとって つねに難しい問題でもあるのだと、村民の方は話します。

(まだ続きます。)

ポスト @ 2008/12/13 14:38 | 調査報告

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