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Dec 19, 2008

地球研 安藤礼二講演のお知らせ

12月22日に、京都の総合地球環境学研究所(通称「地球研」)において、安藤礼二研究所所員の講演が以下の要領で行われます。 (なお、本連続セミナー企画「環境思想セミナー」のコーディネータ  である鞍田崇さんは、以前研究所プロデュースにて、多摩美で  鶴岡真弓所員と対談を行っています。こちらもご覧下さい。)

第17回「人と自然:環境思想セミナー」

■テーマ  掌に握りしめた雪のように――折口信夫と近代のゆくえ ■講師   安藤 礼二氏 (多摩美術大学准教授) ■日時   2008年12月22日(月) 15:00〜17:00 ■場所   総合地球環境学研究所(地球研)  講演室 ■申込不要/聴講無料 ■主催   地球研・文明環境史プログラム プロジェクト「農業が環境を破壊するとき」(リーダー:佐藤洋一郎・地球研教授) ■HP http://www.chikyu.ac.jp/sato-project/thought.html 

■講師略歴 安藤 礼二  ANDO Reiji 1967年東京生まれ。文芸評論家。早稲田大学第一文学部考古学専修卒業。現在、多摩美術大学美術学部芸術学科准教授、同芸術人類学研究所所員。2002年、「神々の闘争―折口信夫論」で第45回群像新人文学賞評論部門優秀作受賞(『群像』 2002年6月号)。2006年、『神々の闘争 折口信夫論』(講談社)で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。その他、著書に『近代論 危機の時代のアルシーヴ』(NTT出版)、『光の曼陀羅 日本文学論』(講談社)、編著書に『初稿・死者の書 折口信夫』(国書刊行会)などがある。

■概略 降ってきた雪を握りしめると、雪は掌のなかで溶けて水となって消えてしまう。掌に残るのは雪の冷たさだけだ。実体は何もないが、それゆえに際立つ雪の冷たさ、そして清らかさ。 あたかも掌に握りしめた雪のように――亡くなる直前の折口信夫(釈迢空1887-1953)は、日本の短歌、ひいては日本文化をそんなイメージに託した。内容は何も残らないが、ある思いだけは残る。これほど的確で、しかも詩情あふれた日本文化イメージはないと絶賛し、この一節を筆者に教えてくれたのは、以前本セミナーでもご発表いただいた花人の川瀬敏郎氏だった。自分の花もまたそうだ、内容なんて何もない、と。それ以来、折口信夫という名前がずっと頭にひっかかっていた。 折口のいう「握りしめた雪」とはいったい何なのだろうか。なくなってしまうこと、何もないことに注目したのか、あるいは何もないが思いは残るということに注目したのか。もちろん後者なのだろうけれども、そうだとして残る「思い」とは何なのか。そこに意味はあるのか。 いずれにせよ、これは相当手ごわい。言うまでもなく、少なくとも現代のわれわれにとって、ひとたび何かに取り組んだとしたら、内容はあって当然だし、意味のあるものを求める。求められる。環境問題などにたずさわっていたらなおさらだ。なくなることではなく残すこと、壊すことではなく保全すること。ベクトルはいつもそっちを向いている。 折口の発想はそれとはまるで反対を志向している。同じく死の直前にとりくまれた「自歌自註」では、自身の歌について「内容空虚で、空気菓子をしやぶるやうな処」という言い方もしている。無内容、無意味、空虚、虚無…。そんな折口の本質に注目し、独自の近代日本論を展開しているのが、文芸評論家の安藤礼二氏である。今回は安藤氏とともに折口の短歌論・日本文化論を検討し、いまわれわれが本当に残さなければならないものは何のか考えていきたいと思います。 (環境思想セミナー企画担当:鞍田崇)

ポスト @ 2008/12/19 19:35 | お知らせ,折口信夫

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